【コラム】アスベスト被害の解決を(弁護士竹内 和正)

令和3年5月17日、アスベスト被害に遭われた建設職人が、アスベスト建材を販売した企業とそれを規制しなかった国を被告として訴えた「建設アスベスト訴訟」について、最高裁は、国と一部の企業の責任を認め、原告勝訴の判決を言い渡しました。提訴から13年と1日が経過していました。僕も弁護団の一員として弁護士になってからずっと訴訟を担当してきました。

この訴訟には多数の原告がいるので、弁護団では各弁護士が担当の原告の方を受け持ちます。今回、最高裁において意見を述べた大坂春子さんは、僕が担当してきた原告の方でした。大坂さんは、アスベストが原因で、大工だった夫と、同じく大工だった息子さんを亡くされています。僕は、「夫と息子を返してほしい。夫と息子に会いたい。」と涙を流しながら話す大坂さんから、何度もしつこく話を聞きだして何通も書面を作り、法廷での尋問も担当しました。大坂さんには、お二人が亡くなった時の様子、特に、息子さんが吐血し、ひきつけを起こしながら「俺まだ死にたくない、やりたいことたくさんある、死にたくない。」と言って亡くなっていったことを何度も話してもらいました。裁判所になんとか被害の重大さを伝えなければいけないという一心でしたが、大坂さんにとっては、あまりにつらい体験だったと思います。

そして、最高裁においても、大坂さんは意見陳述を行うことになり、この意見陳述の原稿も、僕が大坂さんと打ち合わせをした上で書面化していました。しかし、最高裁の法廷において、淡々と被害の実情を話していた大坂さんは、突然原稿から目を離すと、裁判官のほうをしっかりとみて「私は、今でも、かたくなに夫と息子を愛しています。」と原稿にはない思いを語りました。僕は、大坂さんの長く、苦しい裁判闘争を思い、涙が止まりませんでした。法廷で涙を流したのははじめてでした。意見陳述は文字通り意見を述べるだけで、正式な主張書面とは扱われません。しかし、僕は、大坂さんの話が、最高裁の裁判官の気持ちを動かし、原告勝訴の判決に影響を与えたと確信しています。

大坂さんは、裁判をはじめたとき65歳でした。今は77歳になられました。この13年間、大坂さんは、自分のためだけではなく、アスベスト被害者に、自分のような苦労をさせたくないと、何度もくじけそうになる気持ちを奮い立たせ頑張ってこられました。そして、裁判に勝ち、官邸で直接菅総理からの謝罪を受けた上で、裁判を起こすことなく国から賠償を受けられる法律を制定させました。ただ、まだ半分です。建材企業が支払うべき残された損害の賠償を受けなくてはいけません。

亡くなった原告の方々の「生きているうちに解決を」という願いはもう叶いません。僕は、絶対に、国だけでなく、建材企業にも賠償させることによって、全てのアスベスト被害者が全面的に救済される制度をつくらなければならないと誓っています。

弁護士 竹内和正

(事務所ニュース・2021年夏号掲載)

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