埼玉総合法律事務所

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コラム-梶山敏雄弁護士

子どもたちの未来のために(弁護士 梶山 敏雄)

弁護士 梶山 敏雄

 私どもの事務所があるビルの1階に昨年「保育所」が入居してきました。

 初めは脇を通るとドア越しに響いてくる子供達の泣き声などが気になっていたのですが、最近、昼どき、ビル玄関に出入りするときに道路側から保育所の中の一部がガラス越しに見えて、床にいくつも並べられた小さな布団(ベッド?)の上に寝ている園児たちの、沢山の小さな可愛い足の裏がこちらに見えるのです。なんとも言えぬ「ほっこり」した気分になります。

 この子たちがこれから送る長い人生が、平和で、そして人間らしく扱われる社会であるために、北朝鮮問題を口実に武器を売りつけに来たトランプと唯々諾々とそれに従う安倍首相らの振る舞いに、若いママ・パパたちもしっかりと声を挙げて欲しいと思います。

 昨年古希を迎えた歳になり身体のあちこちが悲鳴を上げ始まった私としても、老体にむち打って微力ながらまだ少し努力しなければ、とも思うのです。

国民は忘れない(弁護士 梶山 敏雄)

弁護士 梶山 敏雄

時期的に他の弁護士の記事は「共謀罪」を初めとする悪法と戦う内容になると思われるので、私は自分が上京した懐かしい昭和40年代を舞台とするNHK朝ドラ「ひよっこ」について書こうと考えていたのです。

「オリンピック・出稼ぎ・蒸発・集団就職・仕送り・倒産・ビートルズ・歌声喫茶」などなど、まもなく70才を迎える過去に重ね合わせると、何故かつい涙腺が緩む毎朝です。

しかし、「もり・かけ」で一端が明らかになりつつある安倍政権の、国民を見下し、バカにし、誤魔化そうとする傲慢さについて、やはりどうしてもひと言言わなければなりません。

朝日新聞の川柳に「責任は私にあるとカッコつけ」という句が紹介されていました。

前川事務次官の発言に対し菅官房長官からの「個人攻撃」で真実を握りつぶそうというやり方は、権力と公安警察が一体となって行う情報活動(スパイ)の「強請り」の恐ろしさをまざまざと見せつけてくれました。

こんな政権に「共謀罪」を使わせたらと思うと・・・・。

「時間が経てば国民なんてどうせ忘れる」という安倍政権の慢心をギャフンと言わせたいものです。

雪と銭湯と「居酒屋ぼったくり」(弁護士 梶山 敏雄)

弁護士 梶山 敏雄

54年ぶりに11月に降ったという雪の日に我が家の給湯器が故障し、お湯も出ず風呂にも入れないという状況になりました。
さてと考えたら、子供の頃の東北の田舎での生活では、蛇口をひねればお湯が出るというような生活はありえなかったはずなのに、あの雪深い寒い冬などはどうしていたのか良く思い出せないんです。便利な生活にどっぷり浸ってしまうと、そんな体験さえもおぼろげな記憶になってしまうのでしょうか。
やむを得ず夫婦で近くのスーパー銭湯に行き、これも11月に亡くなった学生時代の憧れのカストロやチェ・ゲバラの若き日の姿を懐かしく思い出しながら一杯飲むのもなかなか乙なものでした。

一杯と言えば、「居酒屋ぼったくり」という本に今はまっています(秋川滝美。6巻)。
東京下町の姉妹が営む居酒屋で、そこに集う人達の人情物語りと毎回紹介される旨い酒と美味しい料理が何とも言えない優しい気持ちにしてくれるのです。
何でかなーと思ったら、その小説には「悪い人」や「他人の悪口」が出て来ないからなのでした。

宮澤洋夫弁護士 卒寿を迎えて(弁護士 梶山 敏雄)

弁護士 梶山 敏雄

「基本的人権と民主主義を守り、悪法と闘い、信条・政派の如何にかかわらず、広く国民と団結して権利擁護のために闘う」という目的を持つ自由法曹団の拠点を埼玉の地に創るために、東京から移り住んだ宮澤洋夫弁護士が「宮澤法律事務所」を開設したのが1973年であり、75年には名称を埼玉総合法律事務所に変更して既に41年が経過しました。
この間、時期の長短はありますが、宮澤弁護士の元で弁護士研鑽をした人数は40名近くに及びます。

その宮澤弁護士が昨年90才の卒寿を迎えられ、10月12日に現在の事務所員のみの限定でしたがお祝いの会を持ちました。
昨年初め頃に少し体調を崩されて所員一同心配をしたこともありましたが、すっかり恢復されて今でも時折事務所にも顔を出してくれる毎日です。
事務職員も含めて皆から宮澤弁護士にまつわるエピソードが語られましたが、それを聞くにつけ改めて宮澤弁護士の偉大さに心が引き締まる思いをしました。
三菱大宮原子炉・福島原発・埼教組弾圧・狭山などなど多数の重大事件に中心的役割を果たし、当事務所の存立基盤を創ったことは勿論ですが、何よりもその人柄故の幅広い人々との深く強い繋がりには驚歎するばかりです。

依然として宮澤節には衰えはなく、これからも若手を叱咤激励して元気で過ごされるようにと願い、一同温かい気持ちになったお祝いの会でした。

ロックンロールミュージック(弁護士 梶山 敏雄)

弁護士 梶山 敏雄

今から丁度50年前の1966年6月ビートルズの日本公演が武道館で行われました。
上京して大学に入学した年です。
大学紛争は激しくなりつつあり、70年安保を控えて騒然とした雰囲気があった時期でした。
「あんな軟弱なグループなんて」と興味はなかったのですが、破格な賃金に惹かれて今思えば幸運にも3日間も会場警備のアルバイトをやったのです。
中高生の女の子たちが入口前に一列に座り込んで「入れてください」と泣き叫ぶのをスクラムを組んで阻止したり、会場内で気絶した子を運び出したりしました。

それ以降ますます激しくなる大学紛争と共に、あのような熱狂的な若者達のエネルギーの発露は、一つの時代の変わり目を映し出していたと思います。
「体制側にいる大人達は若者が集まって熱狂的に声を挙げることに言い知れぬ恐怖心を抱いた」などの論評も後日ありましたが、現在の平和を叫ぶSEALDsなどの行動を見ると、あの時の高揚した気分を思い起こさせてくれ、日本の行く末にわずかでも希望を抱かしてくれます。
大絶叫のために演奏の内容は殆ど聞き取れませんでしたが、出だしの曲「ロックンロールミュージック」だけは、なぜか鮮明に記憶に残っているのです。

高齢化社会の次に来るものは…(弁護士 梶山 敏雄)

弁護士 梶山 敏雄

1年前の事務所ニュースで「プラチナタウン」という、高齢化社会を逆手に取り老人の街建設を誘致することで自治体を生き返らせるという小説を紹介しました。
その続編で、今度は高齢老人そのものが急速に減少する2~30年後の日本がどう生き残るのかを描いた「華僑」ならぬ「和僑」という小説を読みました(楡周平)。

日本酒や和牛・安全な農産物の販路を海外に求め、第一次産業の再構築を図り、若者が生きがいの持てる日本を創るという話です。
世界のどこにでも打って出て、どこにでも生活の基盤を創り上げるという生き方が日本の未来を変えることになるのかも知れません。
また1つ歳を重ね、孫たちの行く末の平和と平穏な生活を願いつつ。

プラチナタウン(弁護士 梶山 敏雄)

弁護士 梶山 敏雄

近ごろとみに乱読の傾向が強まり、脈絡なく手当たり次第の読書ですが、楡周平(にれしゅうへい)という作家の「プラチナタウン」が痛快でした。昨年一世を風靡した「倍返し」の池井戸潤とは又ひと味違います。

出世街道を外された大手総合商社マンがひょんなことで膨大な負債を抱えた故郷東北の町長を引き受けることになり、高齢化社会を逆手に取り、老人の街建設を誘致することで自治体を生き返らせるという話です。
疲弊した日本の経済を福祉の充実によって立て直すというものですが、既存の価値観やしがらみにとらわれない新鮮な発想と実行力を持ち、住民・国民の幸せを常に中心に考える政治家、官僚・役人らがいれば、ひょっとすれば未だ日本も何とかなるのでは? と思わせてくれる「物語り」です。

私も67才になり、自宅には要介護4の寝たきりの妻の母親も一緒の生活になっています。
今後ますます環境が悪化すると思われる高齢化社会、そして何よりもそうした社会を支える若い人達の絶望感への一筋の望みなどを、新しい年、正月に、いっとき感じさせてくれるかも知れません。         

「いつか来た道」を繰り返すな(弁護士 梶山 敏雄)

弁護士 梶山 敏雄

昨年11月に原発事故などのために延び延びになっていた会津・猪苗代中学校の同級会が、群馬の温泉に35名が集まり行われました。丁度卒業50年目の同級会でした。
「八重の桜」の放映などで少しは元気が出てきた福島ですが、復活には未だ途遠しです。

終戦直後に生まれた私たちが曲がりなりにもここまで平和な生活を維持し得たのは、再び暗澹たる社会に戻そうとする様々な企てに抵抗し、闘ってきた多くの国民の力があったからこそと思います。

福島そして成立前夜の埼玉での公聴会と、私の地元が2度もアリバイ作りに利用され、自民党と公明党の無茶苦茶なやり方によって成立してしまった「特定秘密保護法」は、稀に見る悪法と言わざるを得ません。
その内容の酷さもさることながら、安部内閣とそれを補完する政党による、国民の意思など全く無視して強引に一連の悪法を成立させる手法には、本当に背筋が凍る思いがします。

「国民には情報など知らせる必要はない」「反対を叫ぶ者はテロリストだ」などという考え・発言は、国民をバカ扱いし、選ばれた政治家・官僚の考えに従えば良いのだ、という意識の現れです。

「日本を強くするためには国民は我慢をして黙っていろ」のスローガンは「いつか来た道」です。
無人島一つのために殺し合いの戦争に突き進み、国民の人権・自由も抑圧するぐらいなら、とりあえず島一つくらいあげてしまっても良い、と私は思うのです。

平和の大事さ(弁護士 梶山 敏雄)

弁護士 梶山 敏雄

新聞広告に載っていた「あの日、あの時・・・なつかしの昭和」などというDVDを衝動買いし、しばらく放っておいたのですが、何の気なしに見始めたら辞められなくなってしまいました。

故郷会津から東京へ出て来たのが昭和41年。東京オリンピックも終わり、GNP世界第2位、1億総中流化意識、いざなぎ景気、新・三種の神器(クーラー、カラーテレビ、自動車)、光化学スモッグ、相次ぐ飛行機墜落事故などなど、お隣中国の今の現象と重なるような状況が当時の日本にありました。

一方、全国に拡大する大学紛争、ベトナム戦争反対や沖縄返還要求、美濃部革新都政の実現など、目まぐるしく変化する政治状況に無関係ではいられませんでした。

たまたま見た武道館のビートルズ演奏にも興奮しまたが、

戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った

おとなになって 歩き始める

平和の歌を くちずさみながら

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子どもたちさ

という歌も心の中に静かに深く残しながらの、平和の大事さだけは忘れない、その後の生活であったと思います。

事務所設立40周年目を迎えて(弁護士 梶山 俊雄)

弁護士 梶山 俊雄

憲法と平和を守り、国民と労働者の権利を守るという理念の基に、埼玉県内での弁護活動の中心的役割を果たしたいという気概で推移した埼玉総合法律事務所の40年であったかと思います。

洪水の如く次々と押し寄せる悪法のたくらみに対する反対運動、時代の変化に伴う消費者被害などの新たな権利侵害、弱者・貧困・労働問題の一層の深刻化などなど、国民・県民を取り巻く情勢は、事務所員に一息もつかせないかのような試練を与えてきました。

このニュースが皆さんのお手元に届くころには、「国防軍の創設」「核武装も辞さず」「最低賃金法の廃止」そして「原発再稼働」などを叫ぶ勢力が、総選挙の結果どのような陣容になっているかが明らかになっていると思います。希望が持てる結果とはなっていない可能性が高いとは思いますが、どのような結果であれ、埼玉総合の存在意義は変わりなく、さらなる前進に向かって意気高くありたいと思います。

この埼玉総合の事務所から40年の間に事務所を巣立ち、新たな地域での事務所を開設し、その地域に根ざしてすばらしい弁護士活動をしている弁護士が既に16名もおります。現在在籍する弁護士数は15名であり、総勢31名の弁護士が埼玉総合で切磋琢磨した仲間なのです。

残念ながらその間に熊谷に事務所を設立した市川幸永弁護士は平成23年に、為成養之助弁護士は平成7年、大久保和明弁護士は平成13年に事務所在籍のまま亡くなられました。
現職裁判官が治安維持法違反で逮捕された「赤化判事事件」の当事者である為成弁護士は、戦後法曹資格が回復され、唯一の自由法曹団弁護士として県内のあらゆる弾圧事件・人権擁護事件を担当して団支部の礎を築き、我々若手弁護士を叱咤激励してくれました。大久保弁護士は、その日本人離れした風貌と人柄から多くの人から愛され、全国からたくさんの人々が葬儀に駆けつけてくれました。

大変な40年間で事務所経営も決して楽ではない中でも工夫をして事務局も含めて良く遊びもしました。特に桂林・香港、シンガポールや韓国への事務所旅行など、我が事務所らしい、忘れてはならない歴史を尋ねるテーマを持っての企画は思い出深いものです。

いつの間にか今では私が宮澤弁護士に次いでの古株になってしまいましたが、ご覧の通り昭和53年に入所した当時の事務所ニュースの写真は別人のようだったのです。

昨年11月に久しぶりにサイパンに行き、米軍に追い詰められて1000人以上の民間人が崖から身を投げて自殺したバンザイクリフに行きました。「国のため命をささげし人々のことを思えば胸せまりくる」という鎮魂碑に刻まれた詩を詠んで、平和を護ることの大事さを改めて思ったのです。