私の中の憲法(弁護士 梶山 敏雄)

空襲で両親を亡くした兄妹の物語り、NHK朝ドラ「なつぞら」で、終戦直後の生活苦で身売りを強制されそうになった少女を、公布されたばかりの憲法に「奴隷的拘束からの自由」という18条があるのを見つけた一警察官が、「憲法」を根拠に少女を保護したというセリフがあった。私が5才の時に蒸発した父親は魚店を経営していたが、最下級2等兵として2度もフィリピンに徴兵された。母親は「復員してきたら性格が全く変わって(すさ荒んで)しまった」と言っていた。これも「意に反する苦役に服させられない」という18条に反する徴兵制に関わることである。父親が倒産・蒸発した後の母子7人は憲法25条に基づく生活保護の生活であり、何とか進学できた高校の社会科教師が授業で決まって語る社会問題の話は、教育の自由(23条)を守ろうとする教師の意気込みが感じられた時期でもあった。「期待される人間像」などの文部省の道徳的教育の方針に反抗して、卒業生代表での「反戦答辞」をやって問題となったのはそうした影響があったからであろう。「大学自治」「反戦」などを巡る紛争で大学4年間の殆どは閉鎖されており、そのおかげでデモに参加しながらバイトにも精を出すことができてやっと卒業。貧しくとも表現・結社の自由(21条)・学問の自由(23条)をそれなりに感じることができた。当時知った狭山事件などの被差別部落や身近な人の在日差別問題、何度も観た映画「砂の器」でのハンセン病差別などなど、自分が体験した貧困による差別と同じように14条の「法の下の平等」や11条の「基本的人権の保障」に反する行為は許せないという思いがより強くなった。

そして埼玉総合に入所した約40年前、事務所の窓から見えた埼玉県庁には「憲法を暮らしに生かそう」という大きな垂れ幕が常に誇らしげに垂れ下がっていた。自分たちが守られてきたそうした身の回りの「憲法」はどこに行ってしまうのか。国民のささやかな生活・権利実現のための「憲法」を、強者には媚びへつらい、弱者に対してはこき下ろす安倍政権のオモチャにさせてはならないと、膨大な数の悲劇を生んだ戦争が終結した8月15日に思う。

弁護士 梶山 敏雄

 

(事務所ニュース・2019年夏号掲載)

 

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