弁護士 鴨田 譲
先日、熊本にある国立療養所菊池恵楓園という場所に訪れる機会がありました。
菊池恵楓園とはハンセン病患者の療養所です。
かつてハンセン病はらい病とも呼ばれ、四肢や顔面に様々な変形や機能障害をもたらすために人々から忌み嫌われた病気で、実際は極めて感染力が弱いにもかかわらず、誤った病気の認識から、らい予防法という法律によってハンセン病患者が強制的に隔離されてきましたが、その隔離施設が恵楓園なのです。
このハンセン病患者を隔離するための法律は明治40年にできたものですが、廃止されたのは約60年後の平成8年になります。
この2年後の平成10年、強制隔離された方達が原告となって提訴したものが熊本地裁で行われた「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」で、3年越しで原告勝訴に終わりました。
これにより、患者ら原告は、国からの謝罪、支援等を勝ち取りました。
しかし、この時既に患者の方々はかなりの高齢で、「この勝訴があと20年、30年早かったら・・」と漏らしたそうです。
さて、私は現在福島原発被害対策弁護団に所属し、福島原発事故によって避難を余儀なくされた方から東京電力に対する損害賠償請求の事件を数件担当しています。
避難者の方からは、「世間はもう避難者のことなど忘れているのではないか。」「元の家に帰れる日は来るのだろうか。」といった声も聞かれます。
被害者が受けた損害を適切に回復することは当然の役目ですが、避難生活という現在の非常に不安定な生活から一刻も早く解放し、「これがあと○年早かったら・・」という言葉の出ないように、いまできる最善のことをしていきたいと思います。