先日、久々に沖縄のひめゆり平和祈念資料館に行きました。
ひめゆり学徒隊は、沖縄女子師範学校と第一女学校の生徒によって組織されました。生徒の年齢は15歳から19歳。
1945年3月23日に召集された当時は、生徒たちは、まだ、同級生らと夜一緒に過ごせることに高揚感を感じる状態だったそうです。しかし、一週間も経たないうちに学校が空襲で消失します。
やがて地上戦が始まり、負傷兵の足を麻酔なしで切り取るような医療行為の補助などする中で彼女たちの感覚も麻痺していきます。
ある生徒は、「なぜ、兵隊さんたちは、死ぬ時に天皇陛下万歳と言わないのだろう」と疑問に感じたそうです。学校ではそのように教えられていたのに、実際には、母親や妻子の名を呼んで死んで行く。
彼女たちは、戦後、米軍占領下で簡単な教育を受けて、小学校の教師になっていった人が多いそうです。しかし、自分たちの戦争体験を語ることはしませんでした。自分だけ生き残ったことが負い目だったと言います。
それが、戦後40年を過ぎた頃から、次第に自分たちの体験を伝えなければならないという使命感から戦争体験を語るようになりました。ひめゆり祈念館ができたのは、1989年です。
20年前とくらべて、祈念館はなんだか少し静かになりました。以前は、語り部の方がおられたのですが、今は、録画が中心のようです。それでも、修学旅行とおぼしきバスが何台もとまっていたことに、少し救いを感じました。
(事務所ニュース・2025年夏号掲載)

