「桜を見る会」。予算を数倍上回る支出を不審に思って追及したら、なんと高騰した支出額に合わせて予算を引き上げる傲慢。それでは、と使い道を調べてみたら、政権に立つ政治家が自分の後援者を集めて国のお金を使ってもてなしていた、と。国家予算の中に占める割合は小さいからと言って許されるわけではないのです。たとえ額は小さくても、公金に手を付けるというのは、腐敗の最終形。この裏に隠れている腐敗は相当進んでいる可能性があると見なければならないのでしょう。
現在、私は法テラス(日本司法支援センター)の埼玉地方事務所長の任にありますが、法テラスは「あまねく社会のすみずみに法の光を」をスローガンに、法の正義が広く行き渡ることを目的にして様々な活動をしています。現場で市民の皆さんの困り事の支援に当たる人々と連携をとりながら活動を広げようとしていますが、腐敗が進行する様子を見ますと、なんかこういう苦労がばかばかしく思えてきます。いくら法の支援を得て権利を守ろうとしても、「腐敗」は正義を無視しますから。「野党に政権を任せるわけにいかないから仕方ない」という発言もよく聞きますが、それでいいのでしょうか。選挙以外にも姿勢を正す方法はたくさんあると思います。
弁護士 牧野 丘
(事務所ニュース・2020新年号掲載)