日本国憲法が想定する民主主義とは(弁護士 牧野 丘)

安倍内閣は「実行実現内閣」なのだそうです。これまでの政権がなし得なかった政策を果敢に実行に移すということのようです。確かに過去の政権ができなかった諸政策を次から次へと実行に移しました。
たとえば・・・定義があいまいな「秘密」を刑罰をもって保護する「秘密保護法」。これまでの憲法解釈を変えて外国が行う戦争に日本も荷担することに道を開く「安保法」、犯罪の実行に着手しなくても内心で計画しただけで犯罪とされてしまう「共謀罪」、残業代を払わずに働かせる事に道を開く「高度プロフェッショナル制度」、そしてつい先日成立した「カジノ法」。
さらに2020年は新しい憲法施行の年にしたい、などと言っています。
ですが、忘れてならないのはこれらが国会で成立した時の世論調査では、いずれも「今国会での成立については賛成しない」という意見が多数派だったということです。

日本国憲法には不思議な条文があります。「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」(43条)。国会議員は選挙で思想信条を含めた政策のの違いをアピールし、その支持者の投票によって当選します。ですから国会議員が意見の異なる人も含めた「全国民」の代表だというのは少々ピンと来ません。
この意味をめぐっては法学の世界で深遠な議論があるのですが、要するに我が国の国会議員は投票してくれた人だけの事ではなく、自分とは意見が異なる他の人のことにも配慮した行動をすることが義務づけられている趣旨と理解されています。
少々情緒的な表現をすると、自分の意見と異なる人がいることを念頭に、たとえそれが少数派の意見であっても虚心坦懐に耳を傾けなければならない、ということです。
日本国憲法のもとでは、多数派が政権を担うことになっているので、その気になれば国会で論戦することなくどんどん議決をしてしまっても多数決ですから民主主義に反しないように見えます。しかし、それは日本国憲法が想定する民主主義ではないのです。

政権が「実行力」を誇るのであれば、国会議員による多数決の前に世論を変えてみせる説得力でなくてはなりません。そういう真の「実行力」は皆無に等しくありませんか?。
説得ができないのなら出直す謙虚さが、日本国憲法では求められています。

弁護士 牧野丘

 

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