平和の大事さ(弁護士 梶山 敏雄)

弁護士 梶山 敏雄

新聞広告に載っていた「あの日、あの時・・・なつかしの昭和」などというDVDを衝動買いし、しばらく放っておいたのですが、何の気なしに見始めたら辞められなくなってしまいました。

故郷会津から東京へ出て来たのが昭和41年。東京オリンピックも終わり、GNP世界第2位、1億総中流化意識、いざなぎ景気、新・三種の神器(クーラー、カラーテレビ、自動車)、光化学スモッグ、相次ぐ飛行機墜落事故などなど、お隣中国の今の現象と重なるような状況が当時の日本にありました。

一方、全国に拡大する大学紛争、ベトナム戦争反対や沖縄返還要求、美濃部革新都政の実現など、目まぐるしく変化する政治状況に無関係ではいられませんでした。

たまたま見た武道館のビートルズ演奏にも興奮しまたが、

戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った

おとなになって 歩き始める

平和の歌を くちずさみながら

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子どもたちさ

という歌も心の中に静かに深く残しながらの、平和の大事さだけは忘れない、その後の生活であったと思います。

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