宮澤洋夫弁護士 卒寿を迎えて(弁護士 梶山 敏雄)

弁護士 梶山 敏雄

「基本的人権と民主主義を守り、悪法と闘い、信条・政派の如何にかかわらず、広く国民と団結して権利擁護のために闘う」という目的を持つ自由法曹団の拠点を埼玉の地に創るために、東京から移り住んだ宮澤洋夫弁護士が「宮澤法律事務所」を開設したのが1973年であり、75年には名称を埼玉総合法律事務所に変更して既に41年が経過しました。
この間、時期の長短はありますが、宮澤弁護士の元で弁護士研鑽をした人数は40名近くに及びます。

その宮澤弁護士が昨年90才の卒寿を迎えられ、10月12日に現在の事務所員のみの限定でしたがお祝いの会を持ちました。
昨年初め頃に少し体調を崩されて所員一同心配をしたこともありましたが、すっかり恢復されて今でも時折事務所にも顔を出してくれる毎日です。
事務職員も含めて皆から宮澤弁護士にまつわるエピソードが語られましたが、それを聞くにつけ改めて宮澤弁護士の偉大さに心が引き締まる思いをしました。
三菱大宮原子炉・福島原発・埼教組弾圧・狭山などなど多数の重大事件に中心的役割を果たし、当事務所の存立基盤を創ったことは勿論ですが、何よりもその人柄故の幅広い人々との深く強い繋がりには驚歎するばかりです。

依然として宮澤節には衰えはなく、これからも若手を叱咤激励して元気で過ごされるようにと願い、一同温かい気持ちになったお祝いの会でした。

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