【コラム】中央線が直線であることを考える、その心(弁護士 猪股正)

ソースからずっしりと重い本が突然届いた。
手紙は付いていない。巻末の著者「主要業績」を見る。難しそうな論文が並ぶ。
中央線が直線であることの植民地主義的な意味-社会科・地歴教材開発の観点から」。ソースらしくておかしい。
確かに、地図を見ると、新宿からわずかに北上したあとは、立川まで西へ微動だにしない一直線だ。
住人も地形も蹴散らしたようなこの直線に上からの傲岸不遜な力を感じたんだと思う。「あとがき」が長い。
大学時代、山岳部に入り浸り、そこが初めて意識した親密圏で、ゼロ単位を自慢する価値観に率先して染まったこと、京都暮らしは長く先行き不透明な苦悩の時代であったことなどが綴られている。

ソースは京大山岳部時代の後輩。一緒に丸太に跨がり奥利根湖を横断し利根川源流から尾瀬ヶ原へと遡行した。
吉田拓郎ファンで気が合い、無口な私は明るくよくしゃべる後輩のソースからよくいじられた。
司法試験に受からない苦しい時代、よく励まされた。ソースは京都に残り留年、休学、院浪。
ずっと心を離れずその存在を感じながら生きてきた。

この「現代日本の規律化と社会運動」という難しいタイトルの本には、生協の主婦の運動、胎児性水俣病患者の運動のことなどが書かれている。「生活保護を受けて何がワルインダ」「ホームレスであって何がワルインダ」、“ああなってはならない者”とされた人々こそが「当然の者」として普遍化されるような「新しい共同性」を展望する、「共同性」へと架橋するのは人間の多様な想像力であり、だからこそ歴史の叙述が必要で、抗う活動は人間の日常的な営みに軸足を置く必要があると書いてある。

長い思索の積み重ね、ソースの人生の厚みや重みを感じる。難しいけれど心はわかる。
歴史学者と弁護士となり、離れたところを歩いてきたけれど、近くでつながっている。
こうした幸運に感謝し、私も、日常の営みに軸足を置き、抗う一歩を続けたいと思う。

弁護士 猪股 正 

(事務所ニュース・2023年夏号掲載)

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