【コラム】追悼 宮澤先生との思い出を振り返る(弁護士谷川生子) 

宮澤先生とご一緒した期間の短かった私が先生のことを書くのは僭越ですが、短いながらも先生と共同で事件を担当したことや、所内のイベント、飲み会で同席できたことは、私にとって貴重な経験でした。共同受任した勝ち筋の事件で「こりゃあ、儲かるぞ!ハッハッハ!」と冗談めかして言ったり、毎年、先生の誕生日頃に開かれる「宮澤カップ」で、にこやかにボウリング対決を見守る先生の姿が思い出されます。若い頃の先生は厳しく、ひたすら仕事に打ち込んでいたということですが、私はその厳しさの片鱗も見ることはありませんでした。知る限り、宮澤先生はいつも穏やかに、どんな出来事もどんな人物もすべて受け入れ、そこには何の垣根もありませんでした。依頼者からの信頼も絶大でした。いつも泰然と構えた先生は、私にとって、全てを超越した存在に見えたものです。

陸軍士官学校の士官候補生として特攻隊の訓練を受けたこともある先生は、戦後、裁判所に勤め、紆余曲折を経て弁護士になったそうです。「暴れん坊だった。」と自分のことを話す先生は、裁判所では組合活動に熱心な異端児で、(辞めてほしいがため)周囲から司法試験を受けるよう勧められ、仕事中に勉強することも許されていたとのこと。「戦後は憲法(価値の実現)のために、ひたむきに生きてきた」というのは先生の死後、奥様の言葉です。そのひたむきさが多くの人を動かし、平和な社会の礎を築くことにつながったことを思うと、これまで直接戦争を体験せずに来られたことを当たり前と受け止めてはいけないように思います。

弁護士 谷川 生子

(事務所ニュース・2022年夏号掲載)

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