福島原発訴訟さいたま地裁判決(2022.4.20)について

2022年6月17日、東京電力福島第1原発事故で避難した住民らが、国に対し、損害賠償を求めた4つの訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)が、国の責任を認めない判断をしました。最高裁判決に先立つ、同年4月20日、さいたま地裁も、結果回避可能性がなかったとして、国の責任を否定する判決を出しており、最高裁判決を見越していたような内容でした。

以下、福島原発さいたま訴訟を支援する会の「福彩支援ニュース」に掲載いただいた、さいたま地裁判決についての報告文です。

【報告】原発訴訟さいたま地裁判決

2014年3月の提訴から8年が経過した本年4月20日、福島原発事故責任追及訴訟さいたま地裁判決が言い渡され、28世帯95人の原告のうち63人に、総額約6541万円の損害賠償の支払いが命じられました。弁護団は、即日、控訴の方針を決め、今後、東京高等裁判所おいて控訴審の審理が続いていくことになります。

1 さいたま地裁判決の問題点

さいたま地裁判決には、大きく2つの問題点があります。1つは国の責任を否定したこと、もう1つは損害賠償額の水準の問題です。

⑴ 国の責任の否定-結果回避可能性の否定

さいたま地裁判決は、地震調査研究推進本部地震調査委員会が平成14年7月に発表したいわゆる長期評価について、子細な検討をして、その信頼性が認められるとしました。その上で、長期評価によれば、主要建屋の敷地高を超える津波の到来が予見でき、非常用電源設備等が破水して機能喪失し原子炉施設等が損傷を受けるおそれが認められた(予見可能性の肯定)ので、国は規制権限を行使して、東京電力に防護措置の実施に着手させることができたといえ、にもかかわらず、規制権限を行使しなかった国は、重大な責務を果たしたとはいえないとしました。

ところが、さいたま地裁判決は、それに続けて、長期評価により予見可能な津波(想定津波)と本件原発事故の際の津波(本件津波)はその規模や来襲方角に大きな相違があり、国が規制権限を行使しても、防潮堤等の設置によって、本件津波による浸水を回避できたとは認められないとし、また、防潮堤等の設置に加えて、建屋内部等への水の浸入を防止する水密化措置を重ねて行うべき理由もなかったとし、結論として、国が規制権限を行使しても本件事故の結果が回避できたとは認められない(結果回避可能性の否定)として、国の責任を認めませんでした。

しかし、規制権限を行使しないまま東京電力に対策をとらせなかった国の対応について、重大な責務を果たしていないとしながら、対策をとらせていたとしても、結局、結果を回避できなかったはずだから国に責任はないという判断は、やってみる前から、やっても無理だったと断じるものです。防護措置をとらなければ全電源喪失に至り取り返しのつかない事態になることを予見していれば、その事態に直面して、国及び民間が総力を挙げて英知を結集して検討が行われたはずです。そうした検討の経過もないまま時が経過した現在までの知見から、原発事故当時、結果回避可能性はなかったと断じることにはそもそも無理があり、一般国民の感覚からもかけ離れていると思います。

また、原発事故が発生したときに惹起される取り返しのつかない被害の甚大性に照らせば、万が一にも事故が発生しないように、津波の規模や来襲方角の想定には幅を持たせた対策を講ずるべきですし、「多重防護」が重要であって防潮堤等の設置に加え水密化措置も重ねて行われる必要があったといえ、これらの防護措置により結果の回避は可能であったと考えられます。

仙台高裁判決は、国において、結果回避が不可能であったこと等の主張立証をしない場合には結果回避可能性が事実上推認されるとして国の責任を認めています。高松高裁判決も、防潮堤の設置に加えて水密化措置をとることにより全電源喪失の事態にまで至らなかった蓋然性が高いとし、また、長期評価に依拠した具体的な検討をしていないため結果回避可能性に関する資料が極めて乏しいという事情も踏まえる必要があるとして、国の責任を認めています。

 ⑵ 損害賠償水準の低さ

第2の問題点は、損害賠償額の水準が低すぎるということです。先行する判決と比較すると、区域外避難の原告については賠償額は高くなっているものの、全体として、未曽有の原発事故による被害の救済額として低すぎる水準であり、先行する判決も含め、本件原発事故が惹起した被害の大きさ・深刻さを過小評価しているというほかありません。

特に、さいたま地裁判決では、東京電力の義務違反の程度についての評価も十分になされておらず、また、ふるさとを喪失するということが、人間の尊厳ある生存にいかに不可逆的かつ代替不能なダメージを与えるかという点に関する認識が決定的に不足していると思います。

例えば、仙台高裁判決では、東京電力について、新たな防災対策を極力回避しあるいは先延ばしにしたいとの思惑のみ目立っているといわざるを得ず、原子力事業者としてあるまじき姿勢であったとして、東京電力の義務違反の程度は、決して軽微とはいえないとして、慰謝料の算定にあたり考慮すべきとしています。また、「ふるさと喪失」について、「生存と人格形成の基盤」を一個人の人生のスパンで見ればほぼ不可逆的に破壊・損壊されたというべきであると判示し、平穏生活権侵害に基づく慰謝料として、①強制的に転居させられた点について150万円、②避難生活の継続を余儀なくされたことについて月額10万円(平成30年3月まで。それ以降は「ふるさと喪失」損害によって評価)、③「ふるさと喪失」について600万円と評価すべきであるとし、精神的損害に係る賠償額として合計1600万円と認定しています。

除本理史大阪市立大学教授は、ふるさとの喪失について、日常生活と生業を営むために必要なあらゆる条件を奪われたということであり、人間が日々年々の営み(自然との間の物質代謝)を通じてつくりあげてきた家屋、農地などの私的資産、各種インフラなどの基礎的条件、経済的・社会的諸関係、環境や自然資源などを含む一切をさすとしており、その中には、長期承継性、地域固有性という特徴をもつ要素があるとしています。

さいたま地裁判決は、時間軸や地域の固有性を含む、ふるさと喪失の内実を捉えているとはいい難く、帰還困難区域等の原告の請求を棄却していることも、この点に関連していると思います。また、さいたま地裁判決では、上記①から③のような損害類型毎の基準額の明示もなく、各原告について個別の事情を摘示しつつ損害額を認定しているものの、なぜそのような損害額の認定になるかの根拠が極めて曖昧不明確です。

2 国による責任回避と被災者の精神的苦痛の持続について

さいたま地裁の審理では、早稲田大学の辻内琢也教授に対する証人尋問が行われました。辻内教授は、早稲田大学と震災支援ネットワーク埼玉が実施した原発事故被災者を対象とした調査結果に基づき、PTSDの可能性がある高いストレス状態が長期間にわたり現在も持続している被災者が多いことを明らかにしています。そして、辻内教授は、諸外国における人為災害の被災者の精神的苦痛が長期間継続している事例との比較などから、人為災害であって、事故の責任の所在が曖昧不明確な状態が続くことが、被災者の精神的苦痛が高いレベルで続くことに影響することなどを証言されています。

原発事故から11年以上が経過しましたが、未だに、事故の責任は曖昧にされたままです。本来は、事故直後から、国が自らの責任を正面から認めた上で、被災者に損害賠償を請求させるのではなく、国の責任で十分な被災者の救済策を早期に講じるべきでした。国が責任逃れの対応を続けていることが、今も続く被災者の苦痛を生み出しています。

3 6月17日の最高裁判決

さいたま地裁判決については、これから東京高等裁判所において控訴審の手続きが始まりますが、6月17日には最高裁判所の判決が予定されており、各地で判断が分かれている国の責任についての判断が統一されることになります。

司法には、国の責任を認め、その対応の誤りを明確にし、本当の意味での被災者の救済を実現する役割が求められています。そして司法がその役割を果たすことによって、今も続く被災者の甚大な苦痛が緩和されることにつながります。

最高裁判所が、本件原発事故の被害の実相を直視し、国の責任を明確に認定し、判決が、原発事故から11年以上も続いている国の誤った対応を転換させる力となることを願っています。

以 上

弁護士 猪  股   正

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