原子力の危険性(弁護士 宮澤 洋夫)

弁護士 宮澤 洋夫

1945年広島・長崎への原爆投下により戦争は終結したが、広島・長崎は廃嘘と化し数10万人を死亡させ、30数万人を被爆させた。

1978年核兵器廃絶を目的とするNGO国際軍縮会議に出席した際被爆者谷口稜輝氏が乞われた背中一面のケロイド傷痕の公開に失神者が出たことを記憶している。

1954年ビキニ環礁の米国水爆実験による第5福竜丸の被曝汚染により核兵器反対の運動は高まった。

これに対応して翌1955年米国は原子力平和利用の協定の申し入れと共に軽水炉の輸出を提案してきた。
これを受けて日本政府は原子力の平和利用に踏み切り、石炭石油に代わるクリーン・エネルギー源として原子力発電に着手した。

軽水炉は未完成技術であるにも拘わらず多重防護により安全であるとし、さらに核燃料サイクルは廃棄物の処理処分技術が未確立で安全性・経済性に欠陥があるにも拘わらず、産官協力により安全であるとして全国の発電所に100万トン級の大型原子炉を設置した。

地元住民はこれを危惧して反対し、訴訟を提起したが産官一体の推進体制の下敗訴となっているが、福島原発は地震を契機に大事故となり、2万人に及ぶ死者行方不明者を出し、周辺住民は長期に亘り避難生活を余儀なくされている。

原発の事故は続いており危険性は除去されていない。
廃炉は時期の問題である。

福島原発訴訟に参加し、産官共同体制を打破して勝訴できなかった悔を残しているが、改めて原子力の危険性を認識した。

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