メロスは激怒した。そして、竹内も激怒していた。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意したわけではない。ただ、とにかく寒かった。健康のためにはじめたマラソンだ。こんな寒風吹き荒ぶ雨の中でマラソンをしたら身体によいわけがない。どうしてこんな目に遭わなければいけないんだ。(「走れメロス」より準用)
激怒していたとき、僕はマラソン大会当日のスタート地点で、北風にさらされながら、雨空を見上げていました。
数年前に健康のためにマラソンを始めた時、なんとなくたてた目標が、達成しないと辞められない呪いとなってしまいました。今年こそ呪いを断ち切り、マラソンを辞めたい一心で(そもそも走るの全然好きじゃない)、僕は、道行く人を押しのけ、はねとばし、黒い風のように、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走って、練習を重ねてきました(準用)。大会前にはハーフマラソンの大会に2度も参加して調整し、目標を達成してマラソンをやめようとこの大会に賭けていたのです。
それなのに、この冷たい雨です。それだけならまだしも、強い北風も吹いています。それでも何とか「暑いよりはマシだ。」と気持ちを奮い立たせ、ビニール袋のような使い捨てレインコートをかぶってスタートを待ちました。しかし、ゲストランナーの方の「今日はランナーにとって最悪のコンディションですが、スタート地点に立っただけでも誇りに思ってください。何とか無事に、生きてゴールまで戻ってきてください!」という趣旨の挨拶を聞き、その日の目標が、目標タイムを切ることから生還に変わりました。
残念な気持ちで走り始めましたが、せっかくの本番なんだからせめてベストは尽くそう、とにかく身体が暖まるまではアップのつもりで走り、身体が暖まったらペースをあげようと思っていました。でも、いつまでも身体は暖まりませんでした。寒い。とにかく、ずっと寒い。走っても走っても寒い。寒くて、膝が痛い。手袋もびしょ濡れで寒いうえに脱げない。あと、レインコートがダサい。もう嫌だと30キロ地点で心が折れてからはずっと「君の行く道は 果てしなく遠い だのになぜ 歯を食いしばり 君は行くのか そんなにしてまで」と【若者たち】の歌詞が頭の中をリフレインしていました。この部分しか知らないので、何度も何度も「だのになぜ」と繰り返すことになりました。なんだ、「だのに」って。腹が立つ。
レース終盤では、倒れこみ、路肩で銀のアルミシートに震えながら包まれ、車椅子に乗せられている人も散見されるようになっていました。目標だったタイムのペースメーカーはもう全く見えません。このままでは、セリヌンティウスよりも自分の命が危ない。
だのに なぜ 竹内君は行くのか そんなにしてまで。(それは、立ち止まってしまって救護バスを待つ方が寒くて辛そうだったから。)
文字通り足を引きずりながらそそくさとゴールし、逃げるように帰宅してすぐにお風呂に入りました。そして、浴槽で小刻みに震えながら「ヒドイメニアッタ・・・ヒドイメニアッタヨ・・・」と呟いて今年のマラソン大会は幕を閉じました。
ああ、来年もまた走らないといけないのか。だのになぜ、歯を食いしばり・・・
だのになぜマラソンを走るのか(そんなにしてまで)(弁護士 竹内和正)
