埼玉総合法律事務所

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コラム-伊藤明生弁護士

ねこ(弁護士 伊藤 明生)

弁護士 伊藤 明生

小さいころ,うちにねこがいました。でも,ほとんど記憶が無く,風呂敷にねこを包んで,かわいがっていたような覚えしかありません。家族によると,あまりに私がねこに夢中になっていたらしく,ねこを飼うことは私に良くないと,捨ててしまったらしいです。可哀想なことをしました。このことは,3年前に知りました。1昨年,4ヶ月間の入院後,退院して,久し振りに自宅に帰ってきた際,当時飼っていたねこには,随分癒やされました。そのねこは,最期まで私を癒やしてくれました。「幸せになりたければねこと暮らしなさい」という本があるのですが,そのとおりと,思わず頷きました。そんな猫たちのためのTNRというボランティア活動を紹介します。

ねこは1回の出産で平均5匹のねこを産むため,外で暮らすねこをそのままにしておくと,3年で2000匹も増えてしまいます。それでは,外で暮らすねこも,人も幸せになれません。そこで,ボランティアの人たちがTNRをしています。Trap(つかまえる),Neuter(不妊手術),Return(もといたところに戻す)という活動です。戻された猫には目印として耳にカットが入っていてさくら猫と言われています。

今うちにいるねこたちは保護された子らで,うち1匹はさくら猫でした。今,その子たちに毎日癒されて,リハビリ頑張っています。

多くの方々,そしてねこたちに励まされています。ありがとうございます。

桜(弁護士 伊藤 明生)

弁護士 伊藤 明生

昨年6月6日に退院して以来、ジョキング、筋トレ、柔軟体操など、リハビリに励んでいます。
走っているジョギングコースの周辺には、四季折々に色々な花が咲き、励ましてくれます。
春には桜が咲きほこり、とても綺麗です。

走り始めた頃は、もちろん桜の花は咲いておらず、武骨な幹が目立つだけでした。
冬は,そんな殺風景な景色の中をひたすら走っていました。

そして、ようやく春が訪れると、桜の花たちはいっぱい、いっぱい咲いてくれました。
桜が満開の時に、その中を走っていくととても爽快な気分になれます。でも、散りはじめて、桜の花びらが舞う中を走るのも格別でした。

春も過ぎ、桜は散ってしまいましたが、桜の樹は生き続けています。
この桜をこの春に愛でることができたのも、今私が生を与えられているからだとしみじみ感じております。
来年の春も桜の花びらが舞い散る中を走れるように、この夏を力強くかけ続けたいです。

リハビリ(弁護士 伊藤 明生)

弁護士 伊藤 明生

昨年6月6日に退院して以来,ジョキング,筋トレ,柔軟体操などのリハビリに励んでいます。

ジョギングは,近くの秋ヶ瀬緑道,桜通り公園,彩湖マラソンコースを日々の体調に合わせて走っています。このコースは自動車が通らないので,安心して走れます。調子の良い時は三時間位走ることもあります。

このコースの周辺には,時季折々の色々な花が咲いていて,心を癒やしてくれます。
夏の暑い時季には青や白,紫の朝顔が,暑さをやわらげてくれていました。
秋には彼岸花が。1昨年末に逝ってしまった母を偲び,手をあわせました。
そして,寒くなった冬には山茶花。最初,椿と間違ってしまいました。

山茶花全般の花言葉は,「困難に打ち克つ」「ひたむきさ」だそうです。一病息災。
入院前は,ジョキングもしませんでした。花を愛でて,写真に撮ることもしませんでした。
体重も減り,ウエストも細くなり,若い頃のズボンも履けるようになりました。一病息災。以前よりも,元気になって,ひたむきに困難に打ち克っていきたいです。

入院してしまいました(弁護士 伊藤 明生)

弁護士 伊藤 明生

私はこれまで入院の経験がなかったのですが,ついに入院してしまいました。

この2月5日の夜8時過ぎ,帰宅後,入浴中,突然バランス感覚がおかしくなり,ちょうど,帰宅した妻が,救急車をよびました。救急隊員の方が着いた頃には,私の左半身の感覚は無く,大宮日赤の救急病棟に搬送され,即,入院となりました。

入院直後は,上半身を起こすことさえできませんでした。担当医の話では,幸いにも出血部位が運動部位を1センチずれて,直撃していなかった。
出血がもう少し広がっていたら,生命がなくなっていただろう,今後のリハビリによっては,五体満足に動けるようになるだろう,とのことでした。治療は,薬によるもので済みました。

その後,リハビリ入院生活が続く中,私の体調も徐々に良くなり,6月6日に退院することができました。

今は,完全復活に向けて自宅でリハビリ療養中です。多くの方々からの暖かい励ましが私の心の支えとなり,リハビリに頑張ってこれました。
ありがとうございます。

歴史(弁護士 伊藤 明生)

弁護士 伊藤 明生

昨年からのNHKの朝ドラと大河ドラマの時代が,いずれも幕末から明治初期でした。

このうち明治初期のことは学校の歴史の授業でかじった程度でしたので,両替商など番組を視てて分からないことが多々ありました。
そこで幕末から明治初期に興味が湧き,調べていく内に財閥の形成の過程,米英の係わりなど,教科書には書かれていない考えを知りました。
ご存じの方にとっては何を今更ということなのでしょうが,浅学の私にとっては,「びっくりポン」でした。

この時代の後,日本は戦争に突き進むのです。
今の日本に同じ過ちを繰り返させてはいけません。
若い夫婦に平和な未来を!

報道の自由(弁護士 伊藤 明生)

弁護士 伊藤 明生

日本国憲法21条1項。
「集会,結社及び弁論,出版その他の一切の表現の自由は,これを保障する」。

自民党が在京各テレビ局に,選挙報道の内容について細かく要請する文書を,昨年11月20日に出していたことが27日にわかったとの報道が,同月28日にありました。
この文書は「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題するものですが,その内容,経緯から,それが権力を監視するという使命を帯びた報道機関を萎縮させるための文書ではないかとの懸念や批判の声が上がっています。

更に,同月29日には,自民党が外国特派員協会の記者会見を拒否したと,外国メディアで報道さている事を,ネットで読みました。
これも,外国特派員からの厳しい質問を避けるためではないかと疑われています。

このように自由な報道を嫌う倍政権が特定秘密保護法をどのように使うのか?
想像するだだけで,恐ろしくなります。
国民は選挙でどう判断するのでしょうか?
                               

公民権運動とポール・マッ力卜ニー(弁護士 伊藤 明生)

弁護士 伊藤 明生

元ビートルズのポール・マッカトニーが昨年11月に来日しました。
友人のお陰で、ティケットを手に入れることが出来、東京ドームに行きました。
この時の感想は別の機会にし、今回は、その時、演奏した「ブラック・バード」について、書かせて頂きます。

私が所属するバンド「零」で、この曲を練習しているのですが、ポールは、東京ドームで、アメリカでの公民権運動のことを話し、この曲を演奏しました。

公民権運動とは、1950年代から1960年代にかけてアフリカ系アメリカ人が公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動です。
この運動の中で、1963年、マーティン・ルーサー・キング牧師らの呼びかけに応じて、人種差別や人種隔離の撤廃を求める20万人以上の人達が集まって、ワシントンD・Cにおける「ワシントン大行進」が展開されました。
この時、キング牧師がワシントン記念塔広場で、あの有名な「I Have a Dream」の演説を行ったのです。そして、1964年7月2日に公民権法が制定されました。

今、日本の政治は、ひどいことになっています。安倍政権は、今後、更に日本を「戦争をする国」にしようとするでしょう。国民間の格差をもっと広げようとするでしょう。
しかし、これを許すことはできません。公民権運動のように、運動を広げ、憲法を守りましょう。
私は、その思いが実現して、ブラック・バードを演奏する夢を持っています。

真珠の首飾り(弁護士 伊藤 明生)

弁護士 伊藤 明生

「渡されたバトン~さよなら原発」のことは,事務所ホームぺージに書きましたが,その映画の脚本を書いたジェームズ三木氏は,1998年に「真珠の首飾り」という日本国憲法起草にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんを主役にした芝居を書いています。
彼女の起草した第24条の案に当時の日本政府は「日本にはなじまない」と抵抗したのです。そのゴードンさんは,昨年12月30日、89歳で亡くなられました。
遺族の方は,献花より日本の九条の会への寄付をよびかけたそうです。
その「真珠の首飾り」の劇は,最後に,ゴードンさんの語りで幕を閉じます。その一部をご紹介しましょう。

「嵐のような作業が進むにつれ,私はだんだん,この憲法の美しさに胸をうたれ,のめりこんでいきました。日本の憲法というより,人類の理想の実現に熱中したのです。
ですからこの憲法を変えるということは,理想を捨てるということです。」
「もしも私が,日本国憲法だとしたら,たぶんこういうでしょう。」「あれから日本は一度も戦争を起していません。外国人をひとりも殺していません。」「どうか私を守ってください。お払い箱にしないでください。それを決めるのは日本国民です。主権を持った皆さんです。」

ジェームス三木氏は,「日本国憲法を103粒の真珠になぞらえた」ということです。

運動の中心には埼玉総合法律事務所が(弁護士 伊藤 明生)

弁護士 伊藤 明生

私が,当事務所に入所したのが1987年4月でした。事務所は,青年法律家協会及び自由法曹団の埼玉における活動の中心的存在であるとともに,弁護士会でも中心的な存在でした。その為,それらの活動に積極的に参加しました。そのことが当然と思い込ませられていたのですね。当時,埼玉弁護士会では,国家秘密法反対,拘禁2法反対などの集会が行われ,その準備を手伝った記憶があります。弁護士会は,今でもそうですが,その集会には,若手弁護士が駆り出されるのです。あのころは,言われたら何でも引き受けていた記憶があります。当事務所の私のちょっと上の弁護士達がそれらの活動の中心であったため,断れる雰囲気になかったのです。青法協の陪審法制定の運動にも参加し,その際,陪審模擬裁判が大阪で行われたのですが,私がその裁判劇の被告人役に抜擢されました。それが「国対伊藤」という本になったわけです。

1988年6月に全国で「過労死110番」が行われ,埼玉でもということで,これも事務所が引き受けることになりました。そこで,埼玉でも翌年6月から「過労死110番」に参加し,埼玉過労死問題弁護団も設立されました。団長は,吉田中山法律事務所(当時)の吉田聰弁護士が就任し,私は事務局として頑張りました。また,秩父じん肺,過労死事件などの労災事件に取り組み,私も,その下働きをしました。これらのことは,事務所の弁護士としては当然なのです。今後もこの事務所の伝統は変わることはないでしょう。

憲法と国旗と国歌(弁護士 伊藤 明生)

弁護士 伊藤 明生

長野県中川村の曽我逸郎村長が,同村議会6月定例会で、「国旗と国歌について村長の認識は」という一般質問に対して答弁された内容が素晴らしいとの話を,私の妻に教えてもらいました。確かに素晴らしい。感銘を受けました。
その一部紹介させて頂きます。

「私は、日本を誇りにできる国、自慢できる国にしたい」

「日本人だけではなく、世界中の人々から尊敬され、愛される国になって欲しい。それはどのような国かというと、国民を大切にし、日本と外国の自然や文化を大切にし、外国の人々に対しても、貧困や搾取や抑圧や戦争や災害や病気などで苦しまないで済むように、できる限りの努力をする国です。」

「これは、私一人の個人的見解ではなく、既に55年以上も前から、日本国憲法の前文に明確に謳われています。」

「しかし、現状はまったく程遠いと言わざるを得ません。」

その具体例を指摘した後,そのような「日本を、一部の人たちが、褒め称え全面的に肯定させようとしている」,「この人たちは、国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々をそれに従わせる空気を作り出そうとしています。国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々をそれに従わせる空気を作り出そうとしています。声高に主張され、人々を従わせようとする空気に従うことこそが、日本の国の足を引っ張り、誇れる国から遠ざける元凶だと思います。人々を従わせようとする空気に抵抗することによって、日本という国はどうあるべきか、ひとりひとりが考えを表明し、自由に議論しあえる空気が生まれ、それによって日本は良い方向に動き出すことができるようになります。」等々と続きます。

抜粋で,説明の部分も私の独断です。詳細は,ネットで知ることができます。是非,お読み下さい。
日本の村長でこのような方がおられることを知って,嬉しくなりました。