憲法のはなし② 日本国憲法の誕生

日本国憲法は、18世紀のヨーロッパの市民革命によって培われた「基本的人権は人間が生まれながらにして持つものであり、憲法はこれを保障するために政府をしばり、政府の横暴を防止するために存在する」という考え方の流れをくんでいることは前回お話ししました。これは近代憲法の大原則だといわれています。

現在の憲法は日本の敗戦後に制定されたもので、それまでの大日本帝国憲法(明治憲法)は、そもそも主権者は国民ではなく、神の子である天皇だとされました。国民は「臣民」、すなわち天皇に従属する者と規定されました。
したがって大日本帝国憲法には国民の権利・自由を保障する規定はあるものの、これらは天皇から恩恵として与えられたものとされており、法律(つまり政府の意思)によって、容易に制限され得るものでした。国家機関である立法・司法・行政も天皇の権限を行うための役割分担で、お互いが独立してチェックし合う機能は乏しかったといえます。

敗戦後、このような憲法が日本の軍部の独走を許し、政府への反対者を弾圧する下地になっていたと考えたGHQ(占領軍の最高司令部)は、終戦直後に憲法改正を示唆したのが新憲法制定のはじまりだったといわれています。
ポツダム宣言を受諾して降伏した政府も憲法改正は不可避と考えおり、新憲法案を検討しましたが、さまざまな方面からも提案がありました。

敗戦の翌年2月にGHQも「マッカーサー試案」を政府に提示し、その後政府により、これに沿った案が策定されました。このマッカーサー試案は天皇制を残しつつも、大日本帝国憲法とは違った近代憲法の大原則を盛り込んだ新しい理念に基づいています。

これは、GHQ案を出す前に、当時の内閣総理大臣であった幣原(しではら)喜重郎(きじゅうろう)とマッカーサーが会談し、天皇制の維持と戦争放棄(憲法9条)を幣原が発案したことによるものでした。
現在でも、日本国憲法はGHQによる「押し付け」憲法だとする意見もありますが、説得力のある根拠がなく、そもそも、国民主権、基本的人権の尊重をベースとし、戦力の不保持も含む戦争放棄をしているなど、国民の自由で平和な生活を願う内容を持つ憲法であるとして、戦争に疲れた国民から歓迎されていました。

その後70年以上も改正が行われなかったことなどから、この憲法が国民の意思に根ざしていることは明らかだというべきではないでしょうか。

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