朝日新聞2008年4月7日夕刊掲載「働く人の法律相談」-年休-(弁護士 佐渡島 啓)

弁護士 佐渡島 啓

私の職場では2週間前までに書類を出さないと年次有給休暇(年休)が取れません。風邪などで急に休むと欠勤扱いされ、皆勤手当を給料から引かれます。忘年会などに出なくても欠勤。疑問を感じます。(福岡県 会社員 40代女性)

 年休は、正社員でも非正社員でも、6カ月間続けて働き、8割以上の出勤率があれば、法で決められた日数を取る権利があります。

 日を指定して会社に伝えれば原則、年休を取得できます。口頭でも、ファクスやメールなど社内の通常のコミュニケーション手段を使っても結構です。書類提出など会社で方法が決まっている場合は、それが不合理でない限り従うべきでしょう。

 いつまでに通知すべきかについては、具体的な法規制はありません。ただ当人が休むと事業の運営に支障をきたすという場合、会社は時季変更権、つまり休暇の日を変えられる権利があり、それを行使すべきか判断する時間が、通知から休暇の日までに必要です。時間の程度は業態により違いますが、ご質問の2週間前までというのは、一般的に長すぎ、無効の可能性が高いでしょう。

 では、急用で当日始業直前に年休取得を通知せざるを得ない場合はどうか。会社が時季変更権を行使できるのは、当人が当日の仕事に必要不可欠で、休むと職場全体の業務が滞るという例外的な場合です。恒常的に人手不足で代替要因も確保できないという職場には、そもそも時季変更権はないともいえます。

 ご質問のケースも、当日始業前の通知でも認められる可能性があります。本来、会社が欠勤扱いできるのは、時季変更権が認められる場合にこれを行使しても社員が出勤しない場合であって、時季変更権を行使せずに欠勤とするのも問題です。

 また、職場の行事は、休日や業務時間外に行われても、振り替え休日や時間外手当が出るのであれば、業務の一環と考えられます。そうでなければ、不参加を欠勤とするのはおかしく、手当を引かれる根拠はありません。

●ここがツボ●

・通知すべき時期に、法律上の決まりはない
・当日始業前の通知が認められる場合もある
・職場全体の業務が滞る場合は、×の場合も




朝日新聞2009年12月7日夕刊掲載「働く人の法律相談」/-パワハラと労災認定-(弁護士 佐渡島 啓)

弁護士 佐渡島 啓

精神疾患を発症したら認められる?

 ちょっとした仕事上のミスで上司からひどい叱責を受け続け、体調がすぐれないため病院で受診したらうつ病だと診断された。この場合、パワハラによるものとして労災になるのでしょうか。

 近年、上司のパワハラによる精神疾患の発症が、労災にあたると認めた裁判は次のようなケースです。

 直属の上司が部下に対し「存在が目障りだ。居るだけでみんなが迷惑している」「おまえのカミさんも気がしれん。お願いだから消えてくれ」「おまえは会社を食いものにしている。給料泥棒」などと発言。人格や存在を否定するような過度に厳しい発言内容などが、客観的にみて精神疾患を発症させるほど非常に大きな心理的負荷になったとしました。

 上司が主任に昇格した者に対し、能力不足であることを明記した文章を書かせ、「主任失格」という文言を使って叱責した事例もあります。本人はとりわけ家族を大切にしていたようですが、結婚指輪をしていることが仕事の集中力を低下させるとして、この本人だけに繰り返し指輪を外すように命じていました。こうした上司による一連の行為をパワハラだとし、月に90時間前後の時間外勤務だったこともあわせ、労災にあたると認められました。

 今年4月には、厚生労働省が10年ぶりに精神疾患の労災認定基準を見直しました。パワハラに相当する出来事が、古い基準に比べてストレスの度合いが強いとされたのです。前述したほどの厳しいケースでなくとも、労災と認められることは充分にあり得ます。

 また、パワハラを受けた場合には労災だけでなく裁判や交渉で、損害賠償を会社やパワハラをした上司本人に請求することもできます。例えば、達成困難なノルマを上司から課せられ、毎朝の報告で明らかに落ち込んだ様子を見せるまで叱責されたり、社内の業績検討会で「会社を辞めれば済むと思っているかもしれないが、辞めても楽にならない」などと責められたりした場合です。

 ただし、上司らのある程度の厳しい改善指導は、正当な業務の範囲内にあたるとした判例もあります。職場で指摘しづらい場合は、弁護士など専門家に相談してください。

●ここがツボ●

・発言が客観的にみて大きな心理的負荷になれば認定も
・基準見直しで精神疾患が労災と認められやすい方向に
・パワハラをした上司に損害賠償を求めることもできる




裁判員裁判について(弁護士 谷川 生子)

弁護士 谷川 生子

 今年の2月、初めて裁判員裁判を経験しました。裁判員の反応を様々に思い描きつつ、弁護人の主張を伝えようと模索しましたが、結論としては、弁護人の主張は退けられました。後悔や反省の念とともに、刑事裁判は、人の一生を左右すると改めて感じさせられた事件です。

 裁判員の選任手続に呼び出された人々は、皆緊張の面持ちで、重圧を感じているようでした。確かに、人の一生を左右するようなことに関わりたくない、というのは、一般の人々の素直な気持ちでしょう。しかし、国民が裁判に参加することで、これまで目を向けられなかった「刑事裁判のその後」にライトが当てられるようになるのではないか、と感じています。裁判官、検察官、弁護士でさえも、刑事手続の終了と共に、被告人との関係が切れてしまうことがほとんどであり、特に裁判官は、具体的にその後被告人がどうなるのかを知らずにいることも多かったと思います。

 それに対し、裁判員は、被告人を前に、自分の出した結論により、この人はこの先どうなるのだろう、と考えます。また、考えて欲しいと思い、公判では、刑務所への再入者率、約6割の犯罪が再犯によるものである事実などに関する客観的な資料を用い、刑務所が十分に機能していない実態を示しました。

 私自身、今回初めて知ったことは多く、不勉強を反省しましたし、裁判員裁判が、法曹三者に何らかの意識の変化をもたらすことは間違いないように思います。




朝日新聞2010年4月12日夕刊掲載「働く人の法律相談」-更新実績ある有効雇用 雇い止めに-(弁護士 佐渡島 啓)

弁護士 佐渡島 啓

契約書に「更新しない」とあっても争う余地あり

 期間に定めのある契約社員などの有期雇用は、期間の定めのない雇用契約を結ぶ正社員と違い、原則として契約期間満了で雇用が終わります。しかし、契約社員として採用される際の面接時に「いつまでも働いてほしい」と言われ、実際に何度も契約を繰り返してきたにもかかわらず、突然雇い止めを宣告されることがあります。

 たとえ有期契約であっても、職務が継続的なものだったり、他の契約社員が何度も更新されている実績があったりすれば「次回も更新されるだろう」との期待を高めるのは当然です。有期雇用でも、その契約更新に合理的な期待が認められる場合には、いわゆる解雇権乱用法理が類推適用され、会社側からの更新拒否は解雇と同様の制限が加えられるとされています。

 しかし近年、会社が更新時に交わす労働契約書に「本契約期間については更新しない」といった文言を盛り込むケースが出ています。有期雇用契約を更新しない場合に、それ自体を無効とされて責任追及されないための対応と見られますが、こうした一文を加えるだけで簡単に雇い止めができたら、契約社員の立場はますます不安定なものになりかねません。

 1年の雇用契約を繰り返し更新し、7年勤務してきた契約社員が起こした裁判がありました。最後に交わした労働契約書に「更新しない」との条項が加えられ、契約社員は異議を述べることもなく署名に押印。期間満了での雇い止めを告知されたものです。契約社員はこれまで更新が繰り返され、業務の必要性からある程度の雇用継続が期待されていたなどとして雇い止めの無効を主張。ところが判決は、解雇乱用法理が類推適用されることは認めつつ、会社が不更新条項の追加を伝えた上で希望を確認し、それまで6割程度だった契約社員の年休消化率が最後の1年は100%だったことなどから、契約の終了を認めました。

 ただ、不更新条項はそもそも公序良俗に反して無効だと批判する学説もあります。何の説明もなく不意打ち的に、不更新条項が加えられていても、合意が成立していないとして争う余地は残されていますので弁護士にご相談ください。




今後について(弁護士 牧野 丘)

弁護士 牧野 丘

 50代半ばを迎え、「これからは趣味に生きたい」など毛頭申し上げるつもりはございません。引き続き1つ1つの仕事丁寧に掘り下げていきたいし、激動するこの業界で、「市民の選択に耐えられる法律事務所とは?」や、そのために何を備えなければならないかを先駆けて考えることも続けていきたいです。ですが、そのために私はもっと仕事以外のことに熱心にならなくてはなりません。頭と体が硬くなっていくのを呆然と見過ごすわけにはいかないからです。

 舞台は、年30本観にいくことにします。これまではだいたい月2。芝居や舞踊の生々しい空間創造の世界に浸るのは間違いなく頭を刺激します。表現活動への感受性はいつでも育てたい。しかも舞台は、映画やテレビのように黙っていても同じ刺激が画面から与えられるのと違い、自分から奪いにいかなくてはなりません。ある種のエネルギーが必要です。

 レッズ戦はもちろんホーム全試合観戦。昨春のように練習試合を観に遠方まで出かけていくのもぜひ。大好きなサッカーで「浦和」を意識するのは(=地元「浦和」を通して世界を覗くイメージ)夢のような時間です。しかし、アウェイ観戦で勝ったことがないのが悩みの種。

 あとは料理も。しばらくごぶさたでした。超不器用で基礎もいまいちなのですが、所内のバーベキューで、あまりにも他の所員が買物下手で段取りが悪いのを見て自信を持ちました。調理が終わる頃にはキッチンが片づいている有様が目標です(笑)。




憲法ミュージカルをご記憶でしょうか(弁護士 牧野 丘)

弁護士 牧野 丘

 憲法ミュージカルをご記憶でしょうか。93年から10年間、埼玉で続けました。「憲法を分かりやすく」とか、「憲法礼賛」とは少し違い、「現実の出来事を憲法の視点で斬る」がコンセプトでした。憲法を護ろうと決めている人たちだけで創る運動ではなく、そうとは決めていない人々も一緒に、憲法がいかなる生命力を持っているのかを考えたい、事が原点でした。ですから、劇中に「憲法」の言葉が登場することは稀ですし、我々は、いかにシナリオの世界を高度に実現するか、に傾注していました。準備の過程で行われる学習も、作品の世界を表現するためという位置づけでした。護憲かどうかは、演じた人々、観た人々が自らの感性に照らして判断してもらいたいと考えたわけです。

 この企画が我々の手から離れたあと、なんと山梨・三多摩・大阪へと飛び火しました。昨年は3地域で同じ芝居を同時に演じるという壮大な実験にも取り組まれるに至りました。どこも超満員の盛況でした。実現した皆さんのご苦労には、我々の頃をはるかに凌駕するものがあったと思います。3カ所で観ましたが、同じ演出なのに三者三様の違いが、とても面白かったです。県民性の違いでしょうか。同じことに取り組みながら表現が異なり、それが作品の厚みを醸し出す。そのような違いに気づかせてくれ、面白さに変えることのできる芸術には私のような凡人の想像を超える無限の力があるのだ、と今更ながら感じた次第です。




自殺大国を走る(弁護士 猪股 正)

弁護士 猪股 正

 今、この日本では、12年連続で年3万人以上、1日90もの人が自殺によって命を失っています。自殺率は先進国中、ワースト1です。自殺対策として、埼玉では、昨年から、行政と民間が連携して、「暮らしとこころの総合相談会」を毎週開催しています(木曜15時~ジャック大宮5階)。

 この相談会参加団体の有志で企画し、12月10日、11日、県内横断・みんなで自殺をなくすリレーマラソンを敢行しました。快晴の中、正午に、秩父椋(むく)神社をスタートしました。椋神社は、明治時代、借金や貧困に喘ぐ農民が秩父困民党を立ち上げて蜂起した場所です。秩父から、36区間、85キロ、参加者50人、1区間2人~10人が併走し、延べ100人が、たすきをつなぎ、「みんなの力を合わせて自殺をなくそう。」と自殺防止を訴えながら走り、翌日の昼にさいたま新都心にゴールしました。新聞を見て応募した人や、小学生、中学生、町役場の人も走り、私も、割り当てられた9区間、20キロを何とか走り抜くことができました。沿道からはたくさんの応援をもらいました。

 このリレーマラソンの企画や準備の中心を担って支えたのは多重債務の被害者である夜明けの会の人たちです。ランナーの中には、元路上生活の人もいます。この企画を知ったある男性からは次のような連絡をもらいました。少し前に友人を自殺でなくした。自分に何かできたのではないかと悔やまれて仕方ない。もう友人は戻らないが、今、自分にできることをしたい。今回は都合がつかないが、自分の分も頑張って走って欲しい。

 こういった人たちの思いが、マラソンに参加した人や応援してくれた人から、リレーマラソンのたすきのように、これからも、次の人へ、また次の人へとつながれていくと信じています。




研鑽を積み裁判員制度の成功を(弁護士 伊藤 明生)

弁護士 伊藤 明生

 裁判員裁判がいよいよこの春から始まります。事務所ニュースをお読みの方の中には裁判員候補者となられた方もおられることでしょう。裁判員候補者に選ばれたからといって,特に勉強しなければならないことはありません。それは一般常識で判断すればよいからです。他方,私達弁護士は勿論そうは行きません。裁判員裁判に携わる弁護士として研鑽を積む必要があります。私も,昨年11月に埼玉弁護士会が企画した裁判員裁判の法廷技術研修を受けました。

 今から20年程前の1988年,大阪府で開催された青年法律家協会の人権研究交流集会の場で,埼玉の弁護士たちが中心となって模擬陪審が上演されました。この模擬陪審のシナリオを収めた書籍も出版されました。この本の題名は「国vs伊藤」。この「伊藤」は私のこと。この模擬陪審に被告人役として参加したため,私の姓がそのまま題名になってしまったのです。

 模擬陪審に被告人役として関わった者として,多少の自信と共にちょっとお気楽に裁判員裁判の研修に参加したのですが,これまでのやり方で法廷弁護活動を行うと講師の方々に悉く注意されました。裁判員の方々に向けて法廷活動を行うことが要求されるのだということを改めて痛感しました。

 これからも一層研鑽を積み裁判員裁判に臨み,裁判員制度を成功させていく礎となることができれば幸いです。




貧困の連鎖を断ち切り、すべての人が人間らしく働き生活する権利の確立を求める決議(日弁連人権擁護大会)

昨年10月に富山で開催された第51回日弁連人権大会では、当事務所の猪股正弁護士が第3分科会「ワーキングプア」の事務局長として大いに奮闘しました。同分科会で満場一致で採択された決議文を掲載いたします。

 働いても人間らしい生活を営むに足る収入を得られないワーキングプアが急増している。年収200万円以下で働く民間企業の労働者は1000万人を超えた。

 ワーキングプア拡大の主たる要因は、構造改革政策の下で、労働分野の規制緩和が推進され、加えて元々脆弱な社会保障制度の下で社会保障費の抑制が進められたことにある。

 労働分野では、規制緩和が繰り返され、経費節減のため雇用の調整弁として非正規雇用への置換えが急激に進められた結果、非正規労働者は今や1890万人に及び全雇用労働者の35.5%と過去最高に達した。それとともに、偽装請負、残業代未払い等の違法状態が蔓延し、不安定就労と低賃金労働が広がり、若者を中心に、特に教育訓練の機会のない労働者が貧困に固定化され、正規労働者においても賃金水準が低下し長時間労働が拡大するという構造が生まれている。人々の暮らしを支えるべき社会保障制度も、自己負担増と給付削減が続く中で十分に機能していない。そのため、いったん収入の低下や失業が生じると社会保障制度によっても救済されず、蓄え、家族、住まい、健康等を次々と喪失し、貧困が世代を超えて拡大再生産されるという「貧困の連鎖」の構造が作られている。

 しかし、このような労働と貧困の現状は、本来人々が生まれながらにして享有している人権を侵害するものであり、もはや看過できる状況ではない。

 そもそも、個人の尊厳原理に立脚し、幸福追求権について最大の尊重を求めている憲法13条、法の下の平等を定める憲法14条、勤労の権利を保障する憲法27条等に照らせば、すべての人に、公正かつ良好な労働条件を享受しつつ人間らしく働く権利が保障されているというべきであり、憲法25条が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利としての生存権を保障していることを合わせ考慮すれば、国及び地方自治体には、貧困の連鎖を断ち切り、すべての人の人間らしく働き、かつ生活する権利を実現する責務がある。

 そこで、当連合会は、人間らしい労働と生活を実現するため、国・地方自治体・使用者らに対し、以下の諸方策を実施するよう強く求めるものである。
 

(1)国は、非正規雇用の増大に歯止めをかけワーキングプアを解消するために、正規雇用が原則であり、有期雇用を含む非正規雇用は合理的理由がある例外的場合に限定されるべきであるとの観点に立って、労働法制と労働政策を抜本的に見直すべきである。

 特に、労働者派遣については、日雇派遣の禁止と派遣料金のマージン率に上限規制を設けることが不可欠であり、派遣対象業務を専門的業務に限定することや登録型派遣の廃止を含む労働者派遣法制の抜本的改正を行うべきである。

(2)国は、同一または同等の労働であるにもかかわらず雇用形態の違いによって、賃金等の労働条件に差異が生じないよう、労働契約法を改正して、すべての労働契約における労働条件の均等待遇を立法化し実効的な措置をとるべきである。

(3)国は、すべての人が人間らしい生活を営むことのできる水準に、最低賃金を大幅に引き上げるよう施策を講ずるべきである。

(4)国は、偽装請負、残業代未払いなどの違法行為の根絶を図るため、これらを摘発し監督する体制を強化し、使用者に現行労働法規を遵守させるための実効ある措置をとるべきである。

(5)国及び地方自治体は、社会保障費の抑制方針を改め、ワーキングプア等が社会保険や生活保護の利用から排除されないように、社会保障制度の抜本的改善を図るとともに、利用しやすく効果の高い職業教育・職業訓練制度を確立させるべきである。

(6)使用者は、労働関連諸法規を遵守するとともに、雇用するすべての労働者が人間らしく働き生活できるよう、雇用のあり方を見直し社会的責任を果たすべきである。
当連合会は、貧困の拡大に歯止めをかけるためには、労働問題と生活保護等の生活問題に対する一体的取り組みが不可欠であるとの認識に立ち、非正規労働者を始めとするすべての人が、人間らしく働き生活する権利を享受できるようにするため全力を尽くす決意である。
 
 以上のとおり決議する。

2008年(平成20年)10月3日
日本弁護士連合会




調停制度を是非活用してください(弁護士 髙木 太郎)

弁護士 髙木 太郎

 2006年10月から簡易裁判所の調停官に就任しました。週に一度、簡易裁判所の調停の場に立ち会っています。調停は、裁判所を通じた話し合いの制度です。申立人は本人でも十分可能で、2人の調停委員(ないし調停官を含めた3人)が申立人、相手方双方の意向をじっくり聞きながら話し合いをまとめていく制度です。申立から1ヶ月程度で期日がはいり、その後、約1ヶ月間隔で期日が入りますが、早いものは2,3回程度で話し合いが終了します。訴訟のように、法律要件を厳しく問題にされることなく、ある程度、法律上の根拠があれば、話し合いを進めてくれます。

 調停は1回の期日に時間がかかる(訴訟は1回の期日は5分10分ですが、調停の場合、民事でも1時間、家事では2時間かかるのが普通です)こと、相手が出てこなければ話し合いも出来ないこと、相手が道理の通らないことを言っても判決で決着をつけるという道がないことなどから、弁護士は従来調停を敬遠しがちでした。私もその例外ではありませんでした。

 しかし、実際に調停を体験してみると、結構「使える」制度なのです。相手方は呼び出しを受けて結構出頭してきますし、道理による説得はかなりの効果をあげています。調停そのものには裁定的な機能がなくても、「裁判になれば、この程度の解決」ということが、話し合いを進めるうちに見えてきますから、申立の相手方もむやみに調停を拒否することもないのです。期日も結構早めに入ります。法律構成で細かいことを悩む前に申し立てて話し合いに入ることで、迅速な解決の道が見つかることもあります。

 ぜひ、調停制度をご活用下さい。