【コラム】調停制度100年(弁護士 牧野丘)

昨年6月から埼玉調停協会連合会の会長の任にあります。

昨年は調停制度がわが国で始まってから100年を迎え、最高裁日本調停協会連合会では、昨年9月以降、今年に至るまで様々な記念行事が行われていました。コロナ禍にも関わらず、シンポジウムや記念模擬調停などには、地味な企画でありながらも一般の市民の皆さんも大勢参加されました。

調停は、最初からお互いの譲歩を期待して行う話合いの手続きです。
言わば裁判所を間に挟んでの話合い。よく「和を尊ぶ日本人の性格にマッチした」と言われるのですが、決してそういうことではなく、制度を産み出した人たちが社会のニーズをくみ取り、周到に準備して制度設計したから定着したのであり、同じ成功を目論んで別の特殊分野で調停制度を作ってみたが、全く定着しなかった、というケースもあるようです。

私は訴訟を選択できる場合でも調停申立てを先行させることが結構多く、愛好者です。
調停は、せっかく何度か期日を重ねても、両者が合意に達しなければ、結局、訴訟提起をせざるを得ず、時間の無駄になることもあるのですが、話合い目的なので、法律論の緻密さよりも、最初からテーマの核心に斬り込んでいける魅力があります。
調停委員を担当しているときには、単なる判断者ではなく相撲の行司やラグビーのレフェリーのように、双方が充実した闘いを進められるような交通整理係を心がけています。
実際の例では、法律の考え方や証拠の優劣を念頭に置きつつも、必ずしもそれに囚われず、あるべき筋の見極めに基づいて解決できることがあり、現実には、そういう解決への前進力のような能力を持った弁護士ばかりではないのが世の中の実情ではありますが、うまく解決に至った場合にはスッキリとした気分も味わえます。

弁護士 牧野 丘

(事務所ニュース・2023年夏号掲載)




【コラム】終わりばかりじゃないぞ(弁護士牧野丘)

新型コロナのパンデミックになってから毎年1人ずつ孫が誕生し、現在、3人のおじいちゃんです。おじいちゃんとかじいじいとか呼ばれるのに抵抗があったので、どう呼ばせるかはかなりの悩みでしたが、結局、「じいちゃん」に。ちょっとイントネーションは工夫してもらうつもりですが、まだ孫たちはそこまでお話ができないので、これからの課題。

このくらい年になると「始まること」よりも「終わること」が多い。まだ老け込む年でもないし、いろんな力量が落ちているわけではない自信はあるのですが、「終わり」に接するとどうも気分が落ちます。「終わり」は必ずしも悲しいこととは限らないのですがね。逆に「始まり」に触れると自然とエネルギーがみなぎります。今、上の孫2人は、言葉を覚え始め、会うたびに新しい感動を味わわせてくれます。こんな「右肩上がり」現象、ここ最近、見たことがありません。おそらく私の息子、娘、嫁、婿たちはみんな一喜一憂しながら毎日必死に過ごしているに違いないのですが、私にとっては喜びでしかありません。きっと免疫力も上がっていることでしょう。

どんなことにも「終わり」はあり、その多くは寂しい。ですが、その傍らでは、同時に、「始まり」も絶えず存在していて、「始まり」は終わりつつある日々に勇気と希望を与えてくれます。いつまでも「終わり」などないのではないか、という気持ちにもさせてくれます。次はどんな始まりがあるのか。

弁護士 牧野 丘

(事務所ニュース・2023年新年号掲載)




【コラム】追悼 宮澤先生との思い出を振り返る(弁護士牧野丘)

ご幼少時代のことも含めた宮澤先生の足跡を1冊の書籍「心礎を築く・・・私たちの宮澤洋夫先生」にまとめることができたのは、本当によかったと安堵している。事務所挙げての取り組みで、既に90歳の年齢を超えていた先生の期待の圧を感じながら、全所員が自ら原稿を執筆し、聴き取り調査や資料収集、宮澤先生ゆかりの皆さんへの協力のお願い等に、多くの知恵と時間を使った。完成した頃は先生はまだまだお元気だったので、完成本をお渡しして喜んでいただいた。

 改めてこの本を読み返してみると、先生の類い希な幅の広さと頑固一徹でとことんエネルギーを注ぎ込むお姿が同居していたことに今さらながら気づかされ、感嘆する。宮澤先生は晩年こそいかにも好々爺然とされ、あまりおしゃべりにならず、思いにふけってタバコをくゆらす姿が印象的だったが(今の所員の大半はそういうお姿しか目にしていないと思う)、実は局面局面で激しい言葉で後輩弁護士や、地域の市民活動家の皆さんを語気鋭く叱責したりしていた。そういう宮澤先生に、多くの諸兄姉は「畏れ」を抱いていたが、他方で左から右までの交際範囲の幅の広さ(「市ヶ谷駐屯地に顔パスで入れる唯一の左翼」というのは駄話の類いだと思うが、それくらいに陸士の同窓会の世話役として献身的に活躍されていた。ちなみに先生と陸軍士官学校で同期だった私の父の葬儀の際には、同期生の元統合幕僚長会議議長の方に声をかけていただき、父への弔辞を読んでいただいた)や、 ものすごく緻密な配慮に基づいた分け隔てのない献身性から、大きな信頼が揺らぐことはなかった。むしろ先生から叱責されないのは一人前と思われていないことと思われていた。しかし、梶山敏雄弁護士だけは1度も厳しく叱責されていない。そのことを私は先生に尋ねたことがあった。酒席か何かの気楽な席だったと思う。先生は即座に答えられた。「あの人はなぁ、幼い頃から泥水すするようにしてここまで立派に生きてきたんだ。俺みたいに甘くのんべんだらりと好き勝手やってきた人間と物が違うんだ。そんな人にどうして俺が言えるか!」うまく総括して表現することが難しいが、強い衝撃を感じると共に、宮澤先生ご自身の「心礎」を見た思いだった。

弁護士 牧野 丘

(事務所ニュース・2022年夏号掲載)




【コラム】「昨年の振りかえり」と言えば(弁護士牧野 丘)

昨年1年間の出来事を振り返ればだいたい今年の課題が分かります。

①昨年7月には一昨年秋に続いて2人目の孫が誕生。丸々とした大きな男の子です。日々の成長がとにかく眩しい。②10月末で法テラス埼玉の所長を退任しました。ちょうど3年務めたことになります。仕事自体はそれほど繁忙というわけではありませんでしたが、課題はいろいろと山積でした。とりわけ職員の皆さんにはお世話になりました。③7年前に始めたサックス。生来の不器用がたたって相変わらず速い指回しが苦手ですが、念願のアドリブの勉強を始めました。はたち前後の頃に遠くからあこがれていた世界を垣間見ています。④昨年はおかげさまで入院のような健康問題は起きないですみました。そのための努力はけっこうしています。でもつい先日に1年半ぶりにやったゴルフ。日々のウォーキングだけではだめですね。本当に疲れました。

う~~ん、これだけ?仕事は忙しかったです。息つく暇もないくらい。でも例年はもっと語るべきことが悲喜こもごもたくさんありました。昨年は本当に1年まるまるが新型コロナに規制され、動きの少ない年でした。子どもの頃の同級生の多くはサラリーマンで、今年、多くの友人が定年を機に引退しましたが、個人事業主の私には引退はまだ早い。そのためにはもっともっと自分の中身を磨かなければならないのです。

でも、昨年が平坦で退屈な1年だったと感じているかというと、実は、そうでもないのです。なぜか・・・。この数年、大事にしたいと思える人が身近に増えたからだろうと思います。

弁護士 牧野 丘




【コラム】「思い出深い仕事」と言えば(弁護士牧野 丘)

法廷での敵方の証言を自分の反対尋問でひっくり返して勝負が決まったという事件は重大事件でなくても記憶に残り、その時の記憶が今も背筋をシャンとさせてくれます。敵方の証人は、準備や予行演習をしたうえで法廷に臨んでいることが大半ですから、そう簡単に崩れるものではありませんし、無駄な反対尋問は逆効果になることすらあります。

私と2名の弁護人で担当した覚醒剤自己使用事件で、警察官が被告人から採取した尿に異物を混入させた結果、陽性反応が出た可能性が高い、として無罪判決をもらったことがありました。証言台に立ったのは、捜査に関与した警察官ばかり。検察官からの主尋問に答えて警察官たちは「マニュアル通りに捜査しました」と自信満々にてきぱきと証言します。しかし、弁護人による反対尋問では、証人たちを次々と立ち往生させ、適正な捜査に疑いを感じさせる証言をたくさん引き出しました。少々荒唐無稽にも思える被告人の説明をかなり念入りに聞き、捜査記録を穴が開くほど読み込み、現場の動きを一挙手一投足まで再現すべく瞑想し、不自然な部分を見逃していないかをじ~っと考え続けて準備した結果だろうと思います。疑問点を発見したからと言っても単なる仮説に過ぎないので、それを法廷で警察官に認めさせるため、質問の仕方もかなり工夫しました。無罪判決に対して検察官は控訴せず確定しました。判決後、被告人が「先生も私のことを全部は信じていなかったでしょう?」と笑顔で話してくれたことを覚えています。確信に至らずとも、自分を信じてくれて頑張ってくれてありがとう、と喜んでいるものと解釈しました。

弁護士 牧野丘

(事務所ニュース・2021年夏号掲載)

 




やはり生(ナマ)がいい(弁護士 牧野 丘)

 

新型の感染症が登場するとこういう世の中になってしまうとは予想できませんでした。「人との接触を8割減らす」から始まり、生活様式がガラッと変わってしまいました。裁判所の開廷ペースなどもまだ元に戻ったとは言えません。
多くの会議がリモートになり、裁判手続きも電話。楽と言えば楽ですが、伝わっているのかなぁ、というモゾモゾ感は一向に減りません。浦和レッズのシーズンチケットを持つ私には、埼玉スタジアムの試合を映像で観るのは闘った気がしません。映画よりも舞台が好きな私が舞台の録画を観ても満足できません。趣味のサックスに至っては、昨年3月に予定されていた2回目のブルーノート東京の舞台(ただの「発表会」です)が中止になり、レッスンもしばらく休みになっただけでなく、練習場であるカラオケボックスも休店。こんなに長い期間、演奏しなかったことは初めてです。翻って仕事。修習生の頃から大事にしてきた「現場主義」。100回の話を聞くよりも1回現場を見た方が得るものが大きいものです。ですが、なんとなくそれも控えめになりました。

しかし、嘆いてばかりではいけません。愚痴を言うだけでは落ち込みます。落ち込まないためには、新しい文化を受け容れながらも、これまで大事にしてきたことに思いを馳せ、逆にそれを成長させることかと。そんなわけで、この度新しいアルトサックスを買いました。セルマーのシリーズⅡ。コントロールが難しいのですが、音の響きに深みがあり、プロ仕様です。楽器は使うことで成長するので、私も楽器と共に成長します。こんな時期に高いお金を出して買ったことの言い訳でした。

弁護士 牧野丘

 

(事務所ニュース・2021年新年号掲載)

 




医療従事者の危機(弁護士 牧野 丘)

私が日頃からお世話になっている県内の大きな病院は、もともと感染症専門の部門は持っていませんでしたが、新型コロナ患者を受け容れることとし、陰圧室を新たに設け、他の目的の建物1棟を新型コロナ対応用に改変しました。担当するスタッフの訓練も早急に行い、薬剤の使用に関する倫理委員会を直ちに開催するなどしました。未曾有の社会危機に対応する強く気高い使命感がその準備の推進力になったとのことですが、折しも近隣の病院では院内感染も報道されており、生半可なの使命感ではなし得ない、たいへんな緊張状態だったと聞いています。

ここに記しただけでも相当な費用がかかったことは容易に想像できますが、病院の財政は、たいへん苦しいものに変わりました。経費負担だけでなく、病院を訪れる患者さんの数が激減しました。患者数の減少は、感染者対応をした病院以外でも同じようですが、感染者対応をした病院はなおさらとのことです。賞賛されながら、逆に病院から足を遠ざける要因にもなっています。

また、世間では医療従事者に対する拍手や賛辞が一種の流行のようにして行われていますが、その一方で、医療従事者の子が保育園への通園を拒否されたり、差別の対象になる事実も数多く報告されています。

危険を冒して正面から立ち向かおうとする人々が間違いなく存在するわけです。心身共に疲弊しきって闘ってくれました。その人々がご褒美どころかボーナスカットなど経済的に追いやられ、地域の中でも孤立感を味わう。第2波の到来は不可避と言われていますが、次もまた同じ人々に同じ心身の負担をお願いできるでしょうか。財政的な手当と社会全体で支えるマインドができないと第2波には耐えられないのではないでしょうか。「感謝の拍手」を聞くとこんな状態でさらに使命感に燃えて職務を全うせよ、というプレッシャーを感じる、と話す医療従事者の方々も全国、いや世界で大勢いらっしゃるようです。医療者のやりがいを搾取するかのような社会が持続可能と言えるのかどうか・・・。

弁護士 牧野 丘

 

(事務所ニュース・2020夏号掲載)

 




「正義」はもう古いのか?(弁護士 牧野 丘)

「桜を見る会」。予算を数倍上回る支出を不審に思って追及したら、なんと高騰した支出額に合わせて予算を引き上げる傲慢。それでは、と使い道を調べてみたら、政権に立つ政治家が自分の後援者を集めて国のお金を使ってもてなしていた、と。国家予算の中に占める割合は小さいからと言って許されるわけではないのです。たとえ額は小さくても、公金に手を付けるというのは、腐敗の最終形。この裏に隠れている腐敗は相当進んでいる可能性があると見なければならないのでしょう。

現在、私は法テラス(日本司法支援センター)の埼玉地方事務所長の任にありますが、法テラスは「あまねく社会のすみずみに法の光を」をスローガンに、法の正義が広く行き渡ることを目的にして様々な活動をしています。現場で市民の皆さんの困り事の支援に当たる人々と連携をとりながら活動を広げようとしていますが、腐敗が進行する様子を見ますと、なんかこういう苦労がばかばかしく思えてきます。いくら法の支援を得て権利を守ろうとしても、「腐敗」は正義を無視しますから。「野党に政権を任せるわけにいかないから仕方ない」という発言もよく聞きますが、それでいいのでしょうか。選挙以外にも姿勢を正す方法はたくさんあると思います。

弁護士 牧野 丘

 

(事務所ニュース・2020新年号掲載)

 




宮澤洋夫先生 引退に寄せて(弁護士 牧野 丘)

当事務所の創設者である宮澤洋夫先生が、この春をもちまして弁護士を引退されました。数々の著名事件に取り組まれ、埼玉弁護士会会長、関東弁護士会連合会理事長などの要職にも就かれました。なお意気軒昂、お体もお元気ですし、たまに事務所にお越しいただくだけでも所員はエネルギーを頂戴できます。業務はおやりいただかずとも、引き続き弁護士として在籍していただきたかったのですが、先生ご意志は固く、これまでの53年にわたる弁護士人生に自ら幕を引かれました。

私たちは、3年前に卒寿を迎えられたことをお祝いして先生の波瀾万丈なご経歴や数々の輝かしい弁護士としての業績を1冊の記念誌にまとめさせていただきました。題して「心礎を築く」。当事務所在籍中の弁護士だけでなく、OBの皆様や、事務所に縁の深い方々からもご寄稿いただき、中身の濃いものにすることができました。先生の足跡を記したというだけでなく、私たち後進の道標として意義あるものを形にして残すことができました。
その序文に、事務所OBの大先輩城口順二弁護士は、「毎日タバコの煙をくゆらせながら、笑顔で悠然と生きておられる。ことさら行く先がどこなのか、どこを目指しておられるのか語ることも少なく泰然として生きておられる。まさに大人(タイジン)であり、心から尊敬する大先輩なのです。」と書かれました。先生と共に時を過ごした者は、誰もが日々感じてきたことです。
ただ、先生が多方面から引き受けて事務所の後輩にもたらす仕事は、なんというか規模の大きな事件が数多くある一方で、勝機をそう簡単には見いだすことのできない、実に困難でボリュームたっぷりの仕事ばかりでした。もちろん取り組む意義のある仕事ばかりですが、まぁとにかく私たちは事件に鍛えられました。そういう七転八倒の経験をしてはじめて事務所の一員として認められる、というような事務所の作風は、やはり宮澤先生が遺された隠れた偉業のひとつです。

4月15日には、所員全員とOBの皆さんとで、宮澤先生と奥様をお招きし、感謝の集いを市内の料亭で盛大に催しました。たいへん和やかかつ事務所の創設以来の歴史を振り返る得がたい時間を送ることができました。

皆様には宮澤先生に寄せられましたご厚情に、事務所としましても感謝申し上げますと共に、あわせて謹んでご報告申し上げる次第です。

弁護士 牧野 丘

(事務所ニュース・2019年夏号掲載)

 




2018年を忘れない!(弁護士 牧野 丘)

2018年は、私にとって生涯忘れ得ぬ年になりました。3人の子のうち長男と長女が良縁に恵まれて結婚し、生涯初めてモーニングなる服を着ました。2月には南青山のブルーノート東京というあまりにも有名なジャズの殿堂の舞台に生涯初めて立ち(ただし15分間です)、300人超のお客さんの前でアルトサックスを演奏しました。ほんの僅かですがアドリブでソロを吹いたりしました。夢ごごちでした。
6月には生涯初めての入院と手術。危機でした。ご心配いただいた方には改めて心よりの感謝を申し上げます。今はすっかり回復しました。そして10月からは法テラス埼玉の所長に就任。

決して嬉しいことばかりではなく山あり谷ありでしたが、今ではそのすべてが喜びに感じられています。本当に多くの「気づき」がありました。
なんと多くの人に助けられながら生きていることか。あるいは逆に何という偶然の重なりの中で生かされていることか。
「生きていることの大切さ」などと言葉にしてしまうと何とも陳腐になってしまいますが、自分以外のいろんな力によって成り立っていることを自覚すると、逆に日々の自分にまっすぐ向き合って大事にし、他人にも優しくしなければという気持ちになります。

弁護士 牧野 丘