【コラム】中央線が直線であることを考える、その心(弁護士 猪股正)

ソースからずっしりと重い本が突然届いた。
手紙は付いていない。巻末の著者「主要業績」を見る。難しそうな論文が並ぶ。
中央線が直線であることの植民地主義的な意味-社会科・地歴教材開発の観点から」。ソースらしくておかしい。
確かに、地図を見ると、新宿からわずかに北上したあとは、立川まで西へ微動だにしない一直線だ。
住人も地形も蹴散らしたようなこの直線に上からの傲岸不遜な力を感じたんだと思う。「あとがき」が長い。
大学時代、山岳部に入り浸り、そこが初めて意識した親密圏で、ゼロ単位を自慢する価値観に率先して染まったこと、京都暮らしは長く先行き不透明な苦悩の時代であったことなどが綴られている。

ソースは京大山岳部時代の後輩。一緒に丸太に跨がり奥利根湖を横断し利根川源流から尾瀬ヶ原へと遡行した。
吉田拓郎ファンで気が合い、無口な私は明るくよくしゃべる後輩のソースからよくいじられた。
司法試験に受からない苦しい時代、よく励まされた。ソースは京都に残り留年、休学、院浪。
ずっと心を離れずその存在を感じながら生きてきた。

この「現代日本の規律化と社会運動」という難しいタイトルの本には、生協の主婦の運動、胎児性水俣病患者の運動のことなどが書かれている。「生活保護を受けて何がワルインダ」「ホームレスであって何がワルインダ」、“ああなってはならない者”とされた人々こそが「当然の者」として普遍化されるような「新しい共同性」を展望する、「共同性」へと架橋するのは人間の多様な想像力であり、だからこそ歴史の叙述が必要で、抗う活動は人間の日常的な営みに軸足を置く必要があると書いてある。

長い思索の積み重ね、ソースの人生の厚みや重みを感じる。難しいけれど心はわかる。
歴史学者と弁護士となり、離れたところを歩いてきたけれど、近くでつながっている。
こうした幸運に感謝し、私も、日常の営みに軸足を置き、抗う一歩を続けたいと思う。

弁護士 猪股 正 

(事務所ニュース・2023年夏号掲載)




“切手のないおくりもの♫” (弁護士 猪股 正)

 ソースからずっしりと重い本が突然届いた。手紙は付いていない。巻末の著者「主要業績」を見る。難しそうな論文が並ぶ。「中央線が直線であることの植民地主義的な意味-社会科・地歴教材開発の観点から」。ソースらしくておかしい。確かに、地図を見ると、新宿からわずかに北上したあとは、立川まで西へ微動だにしない一直線だ。住人も地形も蹴散らしたようなこの直線に上からの傲岸不遜な力を感じたんだと思う。「あとがき」が長い。大学時代、山岳部に入り浸り、そこが初めて意識した親密圏で、ゼロ単位を自慢する価値観に率先して染まったこと、京都暮らしは長く先行き不透明な苦悩の時代であったことなどが綴られている。

中央線が直線であること
中央線が直線であることの植民地主義的な意味

 ソースは京大山岳部時代の後輩。一緒に丸太に跨がり奥利根湖を横断し利根川源流から尾瀬ヶ原へと遡行した。吉田拓郎ファンで気が合い、無口な私は明るくよくしゃべる後輩のソースからよくいじられた。司法試験に受からない苦しい時代、よく励まされた。ソースは京都に残り留年、休学、院浪。ずっと心を離れずその存在を感じながら生きてきた。

 この「現代日本の規律化と社会運動」及川英二郎著。日本経済評論社)という難しいタイトルの本には、生協の主婦の運動、胎児性水俣病患者の運動のことなどが書かれている。「生活保護を受けて何がワルインダ」「ホームレスであって何がワルインダ」、“ああなってはならない者”とされた人々こそが「当然の者」として普遍化されるような「新しい共同性」を展望する、「共同性」へと架橋するのは人間の多様な想像力であり、だからこそ歴史の叙述が必要で、抗う活動は人間の日常的な営みに軸足を置く必要があると書いてある。

 長い思索の積み重ね、ソースの人生の厚みや重みを感じる。難しいけれど心はわかる。歴史学者と弁護士となり、離れたところを歩いてきたけれど、近くでつながっている。こうした幸運に感謝し、私も、日常の営みに軸足を置き、抗う一歩を続けたいと思う。

弁護士 猪股 正  事務所ニュース・2023年夏号所収)

※ 切手のないおくりもの/財津和夫




貧困ジャーナリズム大賞2022 受賞作品&選評(全14作品)

2023年1月24日、貧困ジャーナリズム大賞2022の授賞式(反貧困ネットワーク主催)があり、大賞を含む、全14の受賞作品が発表されました。

貧困ジャーナリズム大賞は、「貧困」に関する報道の分野でめざましい活躍をみせ、世間の理解を促すことに貢献したジャーナリストたちを顕彰するものです。日本社会が抱える貧困の問題において、隠されていた真実を白日の下にさらしたスクープ報道、綿密な取材で社会構造の欠陥や政策の不備を訴えた調査報道、地道な努力で問題を訴え続けた継続報道などが対象です。取材される側である当事者や専門家の側から見た報道の評価を年に1度、社会に示すものです。今回は第15回目となり、2021年7月~2022年10月までに発表された報道活動が対象です。

審査員:河添誠/白石孝竹信三恵子水島宏明/(反貧困ネットワークPT)猪股正/大塚恵美子/那須淑夫

【関連報道】
 毎日新聞:https://mainichi.jp/articles/20230125/k00/00m/040/016000c
 朝日新聞:https://digital.asahi.com/articles/ASR1S6F2XR1SUTFL00D.html

【貧困ジャーナリズム大賞】

松尾良 向畑泰司 田中裕之 山田奈緒(毎日新聞取材班)
ヤングケアラーをめぐる新聞連載と本の出版活動に対して

近年注目を集めている「若者による介護」の実態に、当事者への丹念な取材の積み重ねで迫っている。質的なアプローチだけでなく、ケアに関わる若者の量的な実態についても、既存の国の統計を生かしてつきとめようとするなど、多角的に現場に肉薄し、そうした報道による世論の喚起が国の調査の背中も押した。介護制度の貧困が若い世代への介護の重圧を生み出し、それが学業や将来設計にまで影響を及ぼして、次世代の貧困へと連鎖していく状況が描き出され、同時に、それらを単なる「観察対象」とするのでなく、取材者自らも問題の渦中にあるものとして描いていく手法は、介護を通じた貧困がもはや他人事でないことを、私たちに教えてくれる。
*毎日新聞・ヤングケアラーのWEBページ

【貧困ジャーナリズム賞】(順不同)

風間直樹 井艸恵美 辻麻梨子(週刊東洋経済取材班)
ルポ・収容所列島 ニッポンの精神医療を問う

日本の精神病医療は、精神科病棟に長期入院させることが常態化しており、その問題は多く指摘されているところである。本作は、その実態をさらに深く追ったもので、衝撃的な事実が次々に叙述されている。拉致・監禁まがいの精神科移送、死にまで至る身体拘束、医療として必要かどうかもわからない薬漬けなどなど。さらに驚いたのは、それが精神科病院だけではなく、児童養護施設などでも薬物が子供に使われている事実が明らかにされていることだった。こうしたことが世界標準から見てどうなのかという点からも考察されており、貧困ジャーナリズム賞にふさわしいと評価した。 

池尾伸一(東京新聞)
家事労働者過労死事件をめぐる一連の報道に対して

住み込みによる家事代行・介護労働で過労死した家事労働者の女性の遺族が、国の労災不支給決定の取り消しを求めて提起した訴訟をめぐり、原告敗訴の1審判決の問題点を1面と他の関連記事で報じ、多角的な検証を展開した。加えて、厚労相との記者会見を通じ、国の住み込み家事労働者に対する実態調査の約束も引き出した。これら一連の報道活動は、個人家庭と契約する「家事使用人」を労働者保護の外に置く労基法116条2項の不当性を広く知らせ、また、こうした労働形態を通じて行われる家庭内での介護労働の危険性も明るみ出すことで、女性労働の脆弱さが女性の貧困を生み出している現状に警鐘を鳴らした。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/200268
https://www.tokyo-np.co.jp/article/205410
https://www.tokyo-np.co.jp/article/205481
https://www.tokyo-np.co.jp/article/207053

山下葉月 加藤健太(東京新聞)
生活保護の『扶養照会』都内28市区 実施率格差をめぐる報道

記者が支援活動を長期取材して問題のありかを見定めたからこそ実現した調査報道だろう。生活保護の「扶養義務」照会作業について都内の区や市の実施状況を調査し、自治体間に大きな格差があることを突きとめた。扶養照会をした場合でも困窮者本人への金銭援助につながる率はごくわずかで、扶養照会という手続きが形骸化している実態を明るみに出した。厚労省がDVなど「扶養照会が不要なケース」を通知に明記しても自治体の対応は恣意的で一律に親族に通知する対応があるなど、「扶養照会」が生活保護の利用者にとって大きな壁になっている現状を浮かび上がらせた。生活保護の「水際作戦」と闘い続ける支援団体からも高く評価された。

永田豊隆
書籍「妻はサバイバー

貧困問題の優れた取材記事で知られる朝日新聞記者の著者と精神疾患を抱える妻。夫婦2人の20年近くに及ぶ凄絶なルポ。妻の過食と嘔吐の繰り返し、過食の食材費で圧迫される家計、膨らむ借金。妻の感情爆発、精神病院への入退院、大量服薬、リストカット、アルコール依存、認知症の発症…。終わりなく続く介護で、著者の生活は一変し、仕事との両立に苦しみ、妻の回復を切望しつつ、時に、妻との決別をも思う自分との葛藤など、ありのままに語られる事実に圧倒される。

虐待被害者の心のケアの問題、精神障害者の介護を担う家族の孤立や絶望の深さ、その背景にある社会の無理解・無関心・差別・偏見、封じられる当事者の声、それらを助長してきた国の政策の問題など、これらを可視化して社会に提起した意義は極めて大きく、ケアの脱家族化・社会化の必要を痛感する。

「私みたいに苦しむ人を減らしたい」と願う妻と卓越したジャーナリストである著者が、共に苦難を生き抜いてきたからこそ生まれた類い希なるルポであり、深く敬意を表したい。

末並俊司
書籍「マイホーム山谷

2002年、東京山谷に夫婦二人三脚で21室のホスピスを立ち上げた山本雅基氏の栄光と挫折の物語。「かつて福祉が必要な人たちに手を差し伸べていた山本雅基さんは、差し伸べられた手を握る側になった。挫折だらけのその半生を見ていく過程は、私の中に芽生えた興味、つまり山谷に自然発生的に現れた福祉の仕組みを探る過程でもあった 」。本書を記すため10年間年末の炊き出しに通い、週末の3か月間ホスピスでボランティア、別れた妻を探すため1か月間を費やす。著者の真摯な姿勢に更なる活躍を期待したい。

岩井信行 大西咲 細野真孝ほか取材班
NHK『NHKスペシャル』「ヤングケアラー SOSなき若者の叫び」

ヤングケアラーと呼ばれる子どもや若者の生活を映像で見せる衝撃のドキュメンタリー。家族の介護などに追われることで学校での友人づくりも難しい。自分がヤングケアラーだという認識もなく、誰にも相談できない状況。現在ヤングケアラーの子どもだけでなくかつてヤングケアラーだった男性も登場する。介護や家事労働などに追われて学校での勉強や進路など多くのことを犠牲にして、「機会を奪われている」実態がよくわかった。映像メディアで取り扱うには障壁が多かったと想像するが、それだけに訴求力が高く、自分ごととして考えさせる報道になっている点を高く評価したい。

菅原竜太 村瀬史憲(名古屋テレビ)
名古屋テレビ 『テレメンタリー』「働いた。闘った。」

1986年に施行された男女雇用機会均等法ができる前、女性は職場で「差別」される存在だった。正社員として雇用されていても男性社員を支える補助的な存在としてしか認めてもらえない。男性と同じ仕事をしても賃金は3分の1程度。結婚や妊娠すると突然、女性だけ早期退職を迫られる。東海地方の物流会社で能力を認められて働き続けた女性の半生をドキュメンタリーとして綴った。本人が証言する通り、「働いた」ということが文字通り「闘った」につながっていた時代の貴重な記録だ。ジェンダーギャップ指数が156か国中120位で解決すべき問題が残る日本。現在地点を歴史的に照射したテレビ報道の価値は高い。

渋井哲也
書籍「ルポ自殺 生きづらさの先にあるのか」

自殺者は、当事者が死んでしまっているため、「なぜ死にたいと思ったのか」ということを本人から取材することが不可能である。このことが、自殺についての取材の大きな障害となる。本著は、「生きづらさ」を抱えた人たちへの多数の取材を積み上げており、結果として、そのなかから自死する人が出てきてしまうため、結果として多くの自殺者(自殺前の)から話を聞いている。多種多様な自殺の現実と背景とをていねいに叙述している本著は、日本社会の解決すべき課題を突き付けてもいる。貧困と自殺との関連について、さらに深めた議論も、この先に展開されていくのだろうと期待しながら読んだ。

大間千奈美 石田望(NHK)
NHK『Dear にっぽん』「HOME もうひとつの“家族”」

欧米であれば「難民」として認定されるようなケースでも在留資格を認められず「不法滞在」とされる外国人が多い日本。“仮放免”という名称で、働くことも許されず、行動範囲も制限されて、突然施設に強制収容されたり、本国に強制送還されたりする外国人も少なくない。自分の年金収入と寄付金から、そうした人たちに住まいを提供する眞野明美さん(68)の生き方を追った番組。名古屋入管に収容されて体調不良を訴えながら亡くなったスリランカ人ウィシュマさんとも事前に面会した眞野さんがその死を胸に刻み、自らも病気と闘いながらも身寄りのない外国人に徹底して寄り添っている。私たち日本人が何をすべきなのかを静かに問いかけてくる。

【貧困ジャーナリズム特別賞】(順不同)

川和田恵真
映画「マイスモールランド」

この映画は、現在の日本の入管制度や在日外国人の置かれた状況についての問題を正面から描いている。この映画は、幼少時から日本で暮らすクルド人高校生を主人公とすることで、普通の高校生のアルバイトすらできなくなること、日本国内での移動も制限されることなどの理不尽さを多くの観客にわかりやすく伝えることに成功している。外国人が医療や就労から排除されることによって、深刻な貧困状態がつくりだされており、それは日本社会の深刻な汚点である。それをドラマとして映像化し、劇映画として成功させたことは特筆すべきである。すでに多くの賞を受賞している本作であるが、貧困問題を描いた作品としても貧困ジャーナリズム大賞の特別賞にふさわしい。評者は、深い共感の涙とともに鑑賞したことも付記したい。

櫻木みわ
書籍「コークスが燃えている」

別れた恋人との再会、思いがけぬ妊娠に出産を決意するひの子。雇止めも間近な非正規雇用の身とコロナ禍の都会で孤立を深める日々に、授かった命の手ごたえに生きていく肯定感が芽生える。恋人との微妙な温度差や距離感が、女たちのつながりを生み、伸ばした手に励ましや勇気が伝わってくる。ひとりではない。時間と場所を越えた遠く筑豊の女坑夫たちが労苦の中で紡ぎ合ってきた他者とともに生きることの意味が連綿と受け継がれていく。新たな命は得られなかったが、つながった女たちの連帯の中で、ひの子の内なるコークスは熾きはじめる。孤立と貧困の社会の実相の中から、女たちのつながりが希望の焔をもたらす秀作に感謝を。

川上敬二郎 塩田アダム 廣瀬誠ほか取材班
TBS『報道特集』「『円安、物価高で生活困窮者は?』など一連の特集」

コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻による物価高騰で生活苦にあえぐ人たちが増えている。支援団体による食料配付の列は長くなる一方で最近は若者や女性も目立つ。「報道特集」は、非正規で働く人や母子家庭など景気動向に左右されがちな人々への視座を忘れず、当事者目線で伝え続けている。雇い止めで収入がない、携帯電話を止められて仕事探しもできない、バイトの激減で大学生活に支障が出ている学生など、様々な実態を映像でリアルに伝えている。ほかにも教員の過重労働、マスク着用の広がりで口元を読み取れずに新たな困難さに直面する聴覚障害者など、「少数者」への眼差しを忘れない。徹底した現場主義に基づく報道には敬意を表したい

清川卓史(朝日新聞)
朝日新聞「『カードで借金』『母の介護費が』国の貸付、借り切っても苦境」など、コロナ特例貸付、生活保護問題などの一連の報道

コロナ禍で生活に困窮する人が続出したが、生活保護の利用は伸びず、コロナ特例貸付の利用が激増した。記者は、特例貸付を限度額まで借り切った後の人を、早い時期から取材し、苦境から抜け出せない人が多いことに警鐘を鳴らした。その後も、住民税の課税ラインをわずかに上回るボーダー層が、非課税世帯向けの給付も受けられず、特例貸付の返済開始が迫る中で償還免除の対象にもならずに追い詰められている実態や、全国の都道府県社協への調査により免除申請が貸付総数の3割超にのぼることをいち早く明るみに出した。こうした報道により、生活保護の一歩手前の支援制度の欠如、最後の安全網であるはずの生活保護の機能不全といった社会保障制度の構造的欠陥を浮かび上がらせた。ほかにも、ペットと困窮広がる学生向け食料支援困窮世帯に多いヤングケアラー問題など、貧困の実態を様々な角度から社会に伝え、人間の弱さや、現場で力を尽くす人たちに温かい視線を注ぐ報道に、多くの人が励まされてきたことと思う。




【コラム】幸福を願う(弁護士猪股正)

 2023年、埼玉総合法律事務所は開所50周年を迎える。気付けば、入所後、その歴史の過半を超える月日が経った。私のような者を受け容れてきてくれたこの事務所の懐の広さに感謝するばかりだ。

 コロナ禍が急来したこの3年間も、事務所の大会議室を利用させてもらい、臨時電話回線を引き、全国一斉電話相談会の埼玉の拠点として、計17回、合計1万5000件以上の相談に全国連携で対応した。法律家のほか、労働、医療、こころ、生活支援の専門家など延べ約500人が参加し、コロナ禍を乗り越えて、地域での協働の取組を続けることができた。

 毎回、12時間、電話に向かい続けた。低年金や無年金で、生活が立ちゆかないという高齢の人からの相談が多い。「仕事もなく、生きる目標もない。明日死んでもいい。」「餓死・孤独死が自分に近付いていると思う。」「これで最後と思い電話しました。」。ニュースが映し出す全国旅行支援や年末年始の賑わいとは隔絶した現実。高度経済成長~バブルの崩壊~リーマンショックなどの社会変動を生き抜き、高齢となった今、孤立し生きる意味を感じられない社会。自己責任の名のもとに競争を強いられ、生まれた家の経済力が人生を大きく左右し、失敗すればやり直しがきかない社会。人間として生きる意味や幸福を求めることが一部の幸運な者の手にしか渡らない社会。こんな理不尽な社会のままなら、外から攻撃されるより先に、内部から崩れていく。

 50年を振り返り、自分、事務所、地域、この国の未来を考え、何ができるかをあきらめずに考え続ける1年を歩みたい。

弁護士 猪股 正

(事務所ニュース・2023年新年号掲載)




【コラム】絶望のとなりに(弁護士猪股正)

早いもので、もうすぐ17回忌である。先日久しぶりにご両親と手紙のやりとりをした。お元気そうでよかった。

南紀八木尾谷の沢登り、焚き火で「氷雨」を唄っていた。八甲田山から十和田湖へ、厳冬期の1週間の雪洞山行。雪が降り積もる大湊の駅の駐輪場での2人だけのビバーク、ヒッチハイク…。下宿でも酒を飲みながら、山のこと、生きるということ、朝までよく話した。20年、30年経った今でも、その笑顔が目に浮かび、笑い声やサンダルの足音が聞こえてくる。同じように山ばかり登っていた仲間の中で、ひとりアカデミックだった。一歩一歩坂を登り、自分の道を切り開き、山中伸弥さんと同じ時代、早々と助手になり、生きていたら、ノーベル賞も夢ではなかったのではないかと本当に思う。

その間、私は、取り残されたように司法試験に受からず、生きていけないのではないかと、山岳部の仲間も思い自分でも思っていた。そんな私に、日本からもアメリカやフランスからも、私の母が癌で亡くなったときも、よく手紙をくれ励まし続けてくれた。「まず、詩を一編送ります。『絶望のとなりに だれかがそっと腰かけた 絶望はとなりの人に聞いた あなたはいったい誰ですか となりのひとはほほえんだ 私の名前は希望です やなせたかし』」

研究者としての良心を貫き、優しさゆえに逝ってしまったその死を思うと、悲しくてならない。手を差し伸べてもらい、偶然にも運良く生かされた自分は、彼と同じ時を生きた者として、彼の優しさや気高さを想い、この小さないつまで続くかわからない命だが、法律家として、彼や世の中に、受け取ったものを、これからも返していきたい。

弁護士 猪股 正

(事務所ニュース・2022年夏号掲載)




雑誌「世界」8月号「東京電力11年の変節 第1回 被災者への攻撃」

2011年3月、原発事故から逃れて数千人の人がさいたまスーパーアリーナに避難されてきました。毎日、スーパーアリーナに通い、旧騎西高校などにも通い相談活動などを行いました。あの光景、あの日々を忘れません。

事故後、東京電力は「3つの誓い」を掲げました。被害者の方々に寄り添い最後の一人まで賠償を貫徹すると誓いました。

ところが、原発事故から11年が過ぎ、東京電力は、被害者に寄り添うどころか、被害者を攻撃し、その苦悩に追い打ちをかけています。

雑誌「世界」8月号「東京電力11年の変節 第1回 被災者への攻撃」は、東京電力の変節の実態を追う連載の第1回であり、攻撃された被災者を取材しています。是非、お読みください。

弁護士 猪 股  正




福島原発訴訟さいたま地裁判決(2022.4.20)について

2022年6月17日、東京電力福島第1原発事故で避難した住民らが、国に対し、損害賠償を求めた4つの訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)が、国の責任を認めない判断をしました。最高裁判決に先立つ、同年4月20日、さいたま地裁も、結果回避可能性がなかったとして、国の責任を否定する判決を出しており、最高裁判決を見越していたような内容でした。

以下、福島原発さいたま訴訟を支援する会の「福彩支援ニュース」に掲載いただいた、さいたま地裁判決についての報告文です。

【報告】原発訴訟さいたま地裁判決

2014年3月の提訴から8年が経過した本年4月20日、福島原発事故責任追及訴訟さいたま地裁判決が言い渡され、28世帯95人の原告のうち63人に、総額約6541万円の損害賠償の支払いが命じられました。弁護団は、即日、控訴の方針を決め、今後、東京高等裁判所おいて控訴審の審理が続いていくことになります。

1 さいたま地裁判決の問題点

さいたま地裁判決には、大きく2つの問題点があります。1つは国の責任を否定したこと、もう1つは損害賠償額の水準の問題です。

⑴ 国の責任の否定-結果回避可能性の否定

さいたま地裁判決は、地震調査研究推進本部地震調査委員会が平成14年7月に発表したいわゆる長期評価について、子細な検討をして、その信頼性が認められるとしました。その上で、長期評価によれば、主要建屋の敷地高を超える津波の到来が予見でき、非常用電源設備等が破水して機能喪失し原子炉施設等が損傷を受けるおそれが認められた(予見可能性の肯定)ので、国は規制権限を行使して、東京電力に防護措置の実施に着手させることができたといえ、にもかかわらず、規制権限を行使しなかった国は、重大な責務を果たしたとはいえないとしました。

ところが、さいたま地裁判決は、それに続けて、長期評価により予見可能な津波(想定津波)と本件原発事故の際の津波(本件津波)はその規模や来襲方角に大きな相違があり、国が規制権限を行使しても、防潮堤等の設置によって、本件津波による浸水を回避できたとは認められないとし、また、防潮堤等の設置に加えて、建屋内部等への水の浸入を防止する水密化措置を重ねて行うべき理由もなかったとし、結論として、国が規制権限を行使しても本件事故の結果が回避できたとは認められない(結果回避可能性の否定)として、国の責任を認めませんでした。

しかし、規制権限を行使しないまま東京電力に対策をとらせなかった国の対応について、重大な責務を果たしていないとしながら、対策をとらせていたとしても、結局、結果を回避できなかったはずだから国に責任はないという判断は、やってみる前から、やっても無理だったと断じるものです。防護措置をとらなければ全電源喪失に至り取り返しのつかない事態になることを予見していれば、その事態に直面して、国及び民間が総力を挙げて英知を結集して検討が行われたはずです。そうした検討の経過もないまま時が経過した現在までの知見から、原発事故当時、結果回避可能性はなかったと断じることにはそもそも無理があり、一般国民の感覚からもかけ離れていると思います。

また、原発事故が発生したときに惹起される取り返しのつかない被害の甚大性に照らせば、万が一にも事故が発生しないように、津波の規模や来襲方角の想定には幅を持たせた対策を講ずるべきですし、「多重防護」が重要であって防潮堤等の設置に加え水密化措置も重ねて行われる必要があったといえ、これらの防護措置により結果の回避は可能であったと考えられます。

仙台高裁判決は、国において、結果回避が不可能であったこと等の主張立証をしない場合には結果回避可能性が事実上推認されるとして国の責任を認めています。高松高裁判決も、防潮堤の設置に加えて水密化措置をとることにより全電源喪失の事態にまで至らなかった蓋然性が高いとし、また、長期評価に依拠した具体的な検討をしていないため結果回避可能性に関する資料が極めて乏しいという事情も踏まえる必要があるとして、国の責任を認めています。

 ⑵ 損害賠償水準の低さ

第2の問題点は、損害賠償額の水準が低すぎるということです。先行する判決と比較すると、区域外避難の原告については賠償額は高くなっているものの、全体として、未曽有の原発事故による被害の救済額として低すぎる水準であり、先行する判決も含め、本件原発事故が惹起した被害の大きさ・深刻さを過小評価しているというほかありません。

特に、さいたま地裁判決では、東京電力の義務違反の程度についての評価も十分になされておらず、また、ふるさとを喪失するということが、人間の尊厳ある生存にいかに不可逆的かつ代替不能なダメージを与えるかという点に関する認識が決定的に不足していると思います。

例えば、仙台高裁判決では、東京電力について、新たな防災対策を極力回避しあるいは先延ばしにしたいとの思惑のみ目立っているといわざるを得ず、原子力事業者としてあるまじき姿勢であったとして、東京電力の義務違反の程度は、決して軽微とはいえないとして、慰謝料の算定にあたり考慮すべきとしています。また、「ふるさと喪失」について、「生存と人格形成の基盤」を一個人の人生のスパンで見ればほぼ不可逆的に破壊・損壊されたというべきであると判示し、平穏生活権侵害に基づく慰謝料として、①強制的に転居させられた点について150万円、②避難生活の継続を余儀なくされたことについて月額10万円(平成30年3月まで。それ以降は「ふるさと喪失」損害によって評価)、③「ふるさと喪失」について600万円と評価すべきであるとし、精神的損害に係る賠償額として合計1600万円と認定しています。

除本理史大阪市立大学教授は、ふるさとの喪失について、日常生活と生業を営むために必要なあらゆる条件を奪われたということであり、人間が日々年々の営み(自然との間の物質代謝)を通じてつくりあげてきた家屋、農地などの私的資産、各種インフラなどの基礎的条件、経済的・社会的諸関係、環境や自然資源などを含む一切をさすとしており、その中には、長期承継性、地域固有性という特徴をもつ要素があるとしています。

さいたま地裁判決は、時間軸や地域の固有性を含む、ふるさと喪失の内実を捉えているとはいい難く、帰還困難区域等の原告の請求を棄却していることも、この点に関連していると思います。また、さいたま地裁判決では、上記①から③のような損害類型毎の基準額の明示もなく、各原告について個別の事情を摘示しつつ損害額を認定しているものの、なぜそのような損害額の認定になるかの根拠が極めて曖昧不明確です。

2 国による責任回避と被災者の精神的苦痛の持続について

さいたま地裁の審理では、早稲田大学の辻内琢也教授に対する証人尋問が行われました。辻内教授は、早稲田大学と震災支援ネットワーク埼玉が実施した原発事故被災者を対象とした調査結果に基づき、PTSDの可能性がある高いストレス状態が長期間にわたり現在も持続している被災者が多いことを明らかにしています。そして、辻内教授は、諸外国における人為災害の被災者の精神的苦痛が長期間継続している事例との比較などから、人為災害であって、事故の責任の所在が曖昧不明確な状態が続くことが、被災者の精神的苦痛が高いレベルで続くことに影響することなどを証言されています。

原発事故から11年以上が経過しましたが、未だに、事故の責任は曖昧にされたままです。本来は、事故直後から、国が自らの責任を正面から認めた上で、被災者に損害賠償を請求させるのではなく、国の責任で十分な被災者の救済策を早期に講じるべきでした。国が責任逃れの対応を続けていることが、今も続く被災者の苦痛を生み出しています。

3 6月17日の最高裁判決

さいたま地裁判決については、これから東京高等裁判所において控訴審の手続きが始まりますが、6月17日には最高裁判所の判決が予定されており、各地で判断が分かれている国の責任についての判断が統一されることになります。

司法には、国の責任を認め、その対応の誤りを明確にし、本当の意味での被災者の救済を実現する役割が求められています。そして司法がその役割を果たすことによって、今も続く被災者の甚大な苦痛が緩和されることにつながります。

最高裁判所が、本件原発事故の被害の実相を直視し、国の責任を明確に認定し、判決が、原発事故から11年以上も続いている国の誤った対応を転換させる力となることを願っています。

以 上

弁護士 猪  股   正




反貧困ネットワーク全国集会2022「コロナ禍、3年目 生きさせろ」が開催

 2022年4月10日(日)、反貧困ネットワーク主催の「反貧困全国集会2022」が開催されました。2007年にスタートして以来、15年目となります。集会のアーカイブ録画をご覧になれます。ミャンマーから避難し、難民申請を却下され、収容、仮放免、再収容を経験しているお二人の報告もあります。この国で、就労の自由も移動の自由も奪われ、医療にもかかれず、社会保障制度にも支えられず、自由も人権もない「無権利状態」の置かれている外国人がたくさんいるという現実に、私たちはどう向き合ったらいいのでしょうか。

 当日、採択された集会宣言をご紹介します。

反貧困全国集会2022集会宣言「コロナ禍、3年目 生きさせろ」

コロナ禍が到来。2020年3月、反貧困ネットワークが呼びかけて、多くの団体と連携して「新型コロナ災害緊急アクション」の取組が始まりました。この2年以上で寄せられたSOSは2000件近く。そのうち83%がすでに住まいを失った人、半数近くがすでに電話が止まった人からのものです。今も連日「所持金ゼロ円」「何日も食べていない」といったSOSが続き、非正規雇用、女性や若者、在留資格を持たない外国人をはじめ、多くの人が生活に困窮し生存の危機に追い込まれる状態が続いています。

私たちは、日本社会で深刻化する貧困や格差の拡大が社会構造の問題だと訴え続けてきました。新自由主義の政策が進められ、食料、エネルギー、医療・介護、保育・教育といった人間の生存に必要不可欠なものまでもが市場原理に委ねられ、弱肉強食の競争原理の中で、強い者がより強く豊かになり、中流層が減少し低所得層が拡大し、社会の分断や対立を拡げる力が止まりません。小さな政府、規制緩和、大企業・富裕層の減税、正規雇用から不安定で低賃金な非正規雇用への置き換え、雇用保険・年金・生活保護など幅広い分野での給付削減・負担増による社会保障の縮減、社会保障サービスを支える公務員の人員削減・非正規化・業務の外注化。最後のセーフティ・ネットである生活保護が扶養照会や水際作戦で機能しない状況。働き方が壊され、社会保障に支えられないのに、「助けてと言えない社会」。自己責任が喧伝され、社会の責任を個人に押し付け、生活保護をバッシングし、「底が抜けた支えのない社会」「どうしようもなく孤独な社会」。こんな社会をコロナ禍という災害が襲い、元々あった危機が、増幅され、浮き彫りになりました。

そして、コロナ禍3年目。失業の長期化、所持金の枯渇、借金、滞納、医者に行けない、離婚など、様々な問題が複合化し、貧困から抜け出せず、自己肯定感を喪失し、孤立を深め、精神的にボロボロにされている人が増え続けています。ウクライナ危機で一層進む物価上昇が生活困窮者にさらなる追い打ちをかけ、自助・共助が強調され公的責任が後退したままの政策が続く中、当事者も支援者も疲弊し追い詰められています。

今日の集会では、女性・非正規雇用・外国人など、当事者や支援の現場からの声や連帯・参加・協働の取組が報告され、韓国から反新自由主義・反貧困連帯運動の報告がありました。地域の現場では、引き続きネットワークを拡げ、居住、相談、就労、医療、孤立防止などをつなげた中長期的な支援を連携して進めていくことが必要です。また、新自由主義や自己責任社会を転換し、住まいを「ベーシック・サービス」として実現することなど公的責任を拡充して貧困を生み出さない政策へと転換することが必要です。

反貧困ネットワークの呼びかけに応じた市民からのカンパにより「反貧困緊急ささえあい基金」がスタートし、これまでに、延べ約2900人に合計8000万円以上の給付支援を行い、いのちをつないできています。

危機は転機でもあります。今こそ、1人ひとりが地域において草の根の取組を進め、個別の問題の枠や民間と行政などの立場を越えて互いにつながり、分断・対立・競争の構造を、連帯・参加・協働の構造へと転換しましょう。「生きさせろ!」と声を上げ、自己責任の闇を打ち払いましょう。人間らしい生活と労働の保障を求め、人間の幸福追求や尊厳を互いに支え合う社会をつくるため、私たちは、これからも声を上げ、つながりを広げ、行動することを宣言します。

反貧困全国集会2022参加者一同

2022年4月10日

集会のアーカイブ録画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=Xk62q7EQ9p4&t=2s

弁護士 猪 股 正




「貧困理論入門  連帯による自由の平等」(志賀信夫・県立広島大学准教授著。堀之内出版)が発刊

 「貧困理論入門  連帯による自由の平等」(志賀信夫・県立広島大学准教授著。堀之内出版)が本年5月に発刊されました。本書は、「貧困をどのように理解するか」「貧困とは何か」を整理し、「貧困概念」の歴史的な拡大過程を追いながら、貧困対策の理論的核心を探ります。生活保護基準引下げ撤回訴訟の取組が全国で進められていますが、著者の志賀信夫県立広島大学准教授が書かれた、現代社会における貧困の捉え方に関する意見書が各地の裁判所で提出されています。

 第1章から第6章からなる本書の第5章には「普遍主義と脱商品化」の節があり、第6章の最終節は「無所有に対する抵抗」です。そこでは、社会的排除に対する具体的な政策アイデアとして、保育、教育、介護、住宅の「脱商品化(低額化、無償化、普遍化)」が提案され、これをベーシック・サービス(BS)と呼び、ベーシック・サービスは、「自由の平等」に貢献し、無所有及び物象化への対抗を可能とするとし、その有効性が強調されています。日弁連公正な税制を求める市民連絡会が提言するところと同じ方向性であると思います。

 そして、選別主義だけが貧困対策として効果を持つわけではなく、上記のような政策アイデアは、理想論として批判されるかもしれないが、「理想は机上の空論とは異なる」、「理想論であるという判断がなされるからといって、潜在的にもっている可能性を捨て去る理由にはならないし、闘いをやめる理由にもならない」と述べられています。

 「租税抵抗の財政学」の著者である佐藤滋さんが、2016年の公正な税制を求める市民連絡会の設立1周年記念集会の際、政治学者の丸山眞男さんの言葉を紹介して講演を締めくくられたことを思い出します。「『現実はそうはいかない』という考え方は、現実感として間違っている。『リアル(現実)』とは、『可能性』の束であり、重要なのは『方向性』の認識である。」。現実や既成事実に屈服せず、連帯していくことの大切さをあらためて考えます。

弁護士 猪 股  正

 

 




think small first-日弁連決議と内橋克人さんの言葉(弁護士猪股 正)

基盤産業の後退、人口流出など地方を中心に地域の衰退が進んでいます。地域衰退の現状を踏まえ、日弁連は、2021年10月、岡山で開催された人権擁護大会において、「地方自治の充実により地域を再生し、誰もが安心して暮らせる社会の実現を求める決議」を採択しました。

決議は、地域衰退の大きな要因は、大規模店の規制撤廃、平成の大合併をはじめとする市場中心主義の下における規制緩和や政府が進めてきた構造改革政策にあるとしています。このような新自由主義的政策については、岸田首相もその転換の必要性に言及したところですが、かねてから厳しい批判を続けてこられたのは先般亡くなられた経済評論家の内橋克人さんでした。内橋さんは、新自由主義が、農村と都市、人と人を分断し、対立、競争させ、食料、エネルギー、医療・介護、保育・教育といった人間の生存に必要不可欠なものまで市場原理に取り込み、強い者をより強く豊かにし、弱い者を切り捨て、人間より経済を重視するものだと徹底的に批判されてきました。

上記決議は、コロナ禍の約2年間、実行委員会による調査・研究等の準備を経て採択されたものです。私は、事務局長として、約30人の実行委員の仲間と労苦を共にし、各地の訪問調査に参加しました。「地域の中で,自分と仕事や地域社会をつなげ,自分に何ができるかを考え,『成り行きの未来』を,『意志ある未来』へと変える。」「経済成長の時代,最後尾だった町だが,人と人が助け合う関係性や人と自然が共存する知恵を活かして,持続可能な社会へのタグボート(曳き船)になる。」という海士町のメッセージなど、「人が生きる」ことを大切にする地域の実践に多くのことを学びました。

「think small first」。内橋さんの言葉です。小さいものから先に考え、小さいものを大事にする。市民の連帯・参加・協働によって地域から社会を築き直す。先人から続く小さな一歩の積み重ねが大きな転換をもたらすと思うのです。

弁護士 猪股 正