「戦争だけは絶対にいかんよ」(弁護士 伊須慎一郎) 

私は愛媛で生まれ、大学浪人のために上京し、その後、30年余り東京と埼玉で暮らしています。
子どものころ、母親から「慎一郎、戦争だけは絶対にいかんよ」と言われたことが、今も、なぜか記億されています。
小学生のころ、松山から広島にフェリーで渡り、原爆ドーム広島平和記念資料館に連れて行かれました。
子どもごころに、こわい、戦争はダメだと刻みこまれたのでしょうか。
弁護士になってから、中国残留婦人国家賠償請求訴訟、中国残留婦人認定訴訟、入市被爆者原爆症認定訴訟を担当し、今、安保法制違憲国家賠償請求訴訟を担当しています。
母親の言葉が私を導いているのか、それともたまたまなのか、よく分かりません。
しかし、実際に、母親よりも1周りほど年上の残留婦人のみなさんからお話しを聞かせていただき、
母親の「戦争だけは絶対にいかんよ」という言葉の意味が身に染みて分かるようになりました。

ロシアがウクライナを侵攻する前から、世界は暴力、圧政、貧困に満ちあふれていました。
それでも日本は何となく平和を享受していたようにみえます。
しかし、中国脅威論、北朝鮮の弾道ミサイル発射、ウクライナ国内の戦況に乗じ、軍備増強・防衛関係費の倍増が叫ばれ、
先制攻撃、核共有の議論まで出てしまっている状況です。
後戻りできないところまで来ていますが、戦争の芽を摘み取ることができるのか、試されていると感じます。

弁護士 伊須 慎一郎