【コラム】絶望のとなりに(弁護士猪股正)

早いもので、もうすぐ17回忌である。先日久しぶりにご両親と手紙のやりとりをした。お元気そうでよかった。

南紀八木尾谷の沢登り、焚き火で「氷雨」を唄っていた。八甲田山から十和田湖へ、厳冬期の1週間の雪洞山行。雪が降り積もる大湊の駅の駐輪場での2人だけのビバーク、ヒッチハイク…。下宿でも酒を飲みながら、山のこと、生きるということ、朝までよく話した。20年、30年経った今でも、その笑顔が目に浮かび、笑い声やサンダルの足音が聞こえてくる。同じように山ばかり登っていた仲間の中で、ひとりアカデミックだった。一歩一歩坂を登り、自分の道を切り開き、山中伸弥さんと同じ時代、早々と助手になり、生きていたら、ノーベル賞も夢ではなかったのではないかと本当に思う。

その間、私は、取り残されたように司法試験に受からず、生きていけないのではないかと、山岳部の仲間も思い自分でも思っていた。そんな私に、日本からもアメリカやフランスからも、私の母が癌で亡くなったときも、よく手紙をくれ励まし続けてくれた。「まず、詩を一編送ります。『絶望のとなりに だれかがそっと腰かけた 絶望はとなりの人に聞いた あなたはいったい誰ですか となりのひとはほほえんだ 私の名前は希望です やなせたかし』」

研究者としての良心を貫き、優しさゆえに逝ってしまったその死を思うと、悲しくてならない。手を差し伸べてもらい、偶然にも運良く生かされた自分は、彼と同じ時を生きた者として、彼の優しさや気高さを想い、この小さないつまで続くかわからない命だが、法律家として、彼や世の中に、受け取ったものを、これからも返していきたい。

弁護士 猪股 正

(事務所ニュース・2022年夏号掲載)