福島被ばく訴訟第1回期日・井戸川前町長意見陳述等

被ばくの問題を正面から問う、福島ひばく訴訟の第1回期日が8月21日に開かれ、約100人の方が傍聴され、
井戸川前双葉町町長の意見陳述などが行われました。意見陳述の内容等をご報告します。

(今後の裁判日程)
次のとおりです。
第2回 平成27年11月19日午前10時
第3回 平成28年2月4日午前10時
第4回 平成28年4月20日午前10時
場所は、いずれも、東京地方裁判所103号法廷です。

(第1回期日における井戸川前町長の意見陳述の内容)
なお、以下のうち、第2及び第3は、審理時間との関係で、法廷での読み上げは省略。
第1 はじめに
私は、今回の原発事故により、計り知れない被害を受け、数えきれないほど多くのものを失いました。
原発事故直後に大量の被ばくをしました。これにより、今日までの間、健康被害の恐怖や不安に脅え続けています。この恐怖は、一生涯にわたり続くものです。また、原発事故により、強制的に故郷を追われ、長期間にわたり不慣れな土地で避難生活を強いられています。避難生活の過程で被った苦痛は、筆舌に尽くしがたいものです。しかも、避難生活は、故郷に戻れるまでの間、半永久的に続きます。さらに、原発事故により、家督や故郷、仕事や財産、コミュニティや伝統文化、平穏な日常生活や自然環境、将来の夢や希望などが根こそぎ奪われました。私は、故郷を愛し、井戸川家を大切にするとともに、双葉町町長として、すべての町民が夢と希望を持って生活できるように、自己犠牲を払ってきたつもりです。しかし、今回の原発事故により、すべてを失ってしまいました。
今回の原発事故は、国や東京電力の落ち度による人災です。それなのに、国や東京電力は、何の落ち度もない私たちからすべてを奪った責任を取ろうとはしません。私は、国と東京電力に対し、被害の完全な回復を求めて、今回の裁判を起こしました。

第2 私の身上・経歴
私は、福島県双葉郡双葉町の井戸川家の3男5女の末尾として、昭和21年5月16日に生まれました。私は、24歳まで双葉町で生活をしていましたが、水道工事の技術を学ぶために上京し、東京で昭和52年の暮れまで過ごした後、井戸川家の稼業と家督を継ぐために帰省しました。それまで、私は、土木建築会社や金物屋などでの勤務を経て、昭和53年、水道設備業を起業し、その経営を続けて現在に至っています。その間、私は、平成17年12月に双葉町町長に就任しました。町長には、平成25年2月まで在職したのですが、町長在職中には、町長の報酬の大幅カットを含む大胆な歳出削減を通じて、財政破たん寸前の町の財政を再建するとともに、町民が夢と希望を持てる双葉町を建設するための様々な政策を策定し、実行に移していました。
なお、井戸川家は、双葉地方でも古くからの由来があります。相馬藩が相双地方を治める以前の標葉侯の家臣とされており、先祖はそれぞれの時代に家を守るために闘いながら井戸川家を守ってきました。私は、先祖の思いを受け継ぎ、どんな困難があろうとも、子々孫々のために井戸川家を守らなければならない宿命を背負っています。

第3 原発に対する不安と原発事故の発生
私は、昭和35年5月、双葉町内に原子力発電所の建設が進められることを初めて知りました。私が中学生の時です。私は、小学生の時に見た広島の原爆の映画の惨状が思い出し、「何と危険なものが出来るのだろうか。」と心配になりました。父親に対し、「おっかないものなのにどうして造るの?」と聞いたこともありました。その時、父親は、「皆が賛成しているから止められない。」と言っていましたが、私は、子供ながらに、いつかこの原発は壊れると思い続けました。
そして、原発に対する怖い思いが現実となりました、スリーマイル島とチェルノブイリの原発事故が発生したのです。私は、これらの原発事故の被害を知るにつれて、自分の町の中にある原発も決して安全ではないと確信しました。過去の原発事故から学び、十分な安全対策を取らないと原発事故が起きると考えるようになりました。
さらに、平成14年には、東京電力のトラブル隠しが発覚し、福島県内の10基の原発が稼働停止になるという事件が起きました。その際、東京電力の経営者たちは、引責辞任をし、形式的には社会的責任を取り、強い反省の姿を示したようですが、福島県内全域の東京電力や原発に対する信頼は、一気に壊れました。
そのような中で、私は、平成17年12月に、双葉町の町長に就任することになったのですが、東京電力の勝俣新社長は、町長応接室を訪問したうえで、私に対し、不徳を詫びたうえで、「これからは隠しません。何でも報告します。社内を隠さず何でも言えるように生まれ変わりました。」と約束しました。その後、新しい知事の下で原発の運転が再開されたのです。その後も、私は、原発の恐ろしさを強く感じていたので、時折町長応接室を訪ねてくる東京電力の責任ある方たちや、資源エネルギー庁及び原子力安全保安院の方たちに対し、原発の安全の確保について問い質してきました。しかし、彼らは、決まったように、「何かあれば『止める、冷やす、閉じ込める』が完全に出来ますので、外部に放射能は出しません。大きな事故は有り得ません。」と豪語するだけで、具体的な説明はしませんでした。
それにもかかわらず、今回の原発事故が起きてしまいました。あれだけ原発の安全性を強調していた国や東京電力は、どのような安全対策を採っていたと言えるのでしょうか。今回の原発事故の背景には、核の平和利用の旗印に安全性を犠牲にして原発を強引に推進してきた国の体質、及び情報を隠蔽したうえで不完全な原発の設置を許可し、監理監督してきた国の業務上の責任、並びに、企業人としてのモラルのない東京電力の経営者たちの責任があります。本件原発事故は、原発の設置者と許可・認可権限者たちの複合的な作為義務違反による人災なのです。

第4 被ばくの被害と責任が明らかにされなければならない
1 原発は存在してはならない
平成23年3月11日、福島第一原発は、地震によって外部電源の送電線が破断し、津波によって非常用電源が浸水し、全電源喪失に陥りました。そして、その後、異常な早さで沪水が枯渇し、優秀といわれていた技術をもってしても放射能漏れを回避できない事態に立ち至りました。この事故の規模は、4基の原発が一度に壊れるという、前例のない、世界最大規模となってしまいました。
この事故が起きる前、国や東電は、核の「平和利用」をうたい、「原発は絶対安全」を繰り返し、何があっても「止める。閉じ込める。冷やす。」と言い続けていました。
しかし、今回の事故によって、「平和利用」などあり得ず、核の「平和利用」の美名のもとで原発政策が推進されてきたことが明らかになりました。核は、人殺しの道具であり、人類滅亡の武器でしかありません。そして、この事故によって、「絶対安全」などということはあり得ず、一度事故が起きれば取り返しのつかない悲惨な事態となることが証明されました。「原発は危険だ。止めろ。」と叫び続けてきた国民の正しさが証明され、他方、「原発は絶対安全」を繰り返し、原子力政策を強引に推進してきた国や原子力産業の説明や方針が完全に間違っていたことが明らかになりました。
国及び東電は、事実を直視し、まずは正面から責任を認め、原発が、立地条件等にかかわらず、そもそも存在してはならなかったことを認めなければなりません。

2 事故防止対策の怠り
このように、原発の設置自体にそもそもの誤りがありますが、今回の原発事故についていえば、国や東電が、適切な事故防止対策をし、関係自治体にも適切な情報提供をしていれば、原発事故被害は最小限に止まったはずです。
すなわち、国と東電は、事故前から、地震・津波の被害を予測できていました。実際、1号機から4号機より海抜が高い位置に設置されている5号機、6号機は津波被害を回避しており、このことは、国や東電が、予測されていた地震・津波対策を取っていれば、原発事故被害を最小限に止めることができたことを物語っています。
私は、今は町長職にはいませんが、双葉町は、福島県及び大熊町とともに、東電との間で、原発周辺地域の安全確保に関する協定書を結んでいました。この協定では、東電が、安全確保対策等のため必要な事項を、双葉町等に、その都度通報連絡するとされていました。当然、地震・津波の検討経過の報告もされなければなりませんが、東電は、これを怠り、双葉町に重要な事実を隠蔽していました。
私は、このような重要な事実を隠したまま、原発事故を発生させたことを許すことができません。

3 避難指示の遅れとベントによる放射線被ばく
原発事故発生後の3月12日7時40分以降、双葉町町民は、川俣町への避難を開始しました。しかし、この日の午後になっても、町の福祉施設「ヘルスケアー」の利用者、双葉厚生病院の患者、特別養護老人ホーム「せんだん」の入所者らが施設に取り残されていました。私は、14時頃に双葉町町役場から、これらの施設に移動し、入所者や患者の避難誘導にあたっていました。そうしたところ、同日15時36分、福島第一原発1号機の原子炉建屋で水素爆発が起き、「ドン」という大きな音が響き、その約5分後、空からぼたん雪のように放射性降下物が落ちてきて、周辺にいた施設の職員、病院の関係者、警察官、自衛隊員らとともに、大量の被ばくをしてしまいました。この場にいた人たちは、「もうこれでお終いだと思った。」と後で口々に述べていました。
3月11日16時45分、東電から政府に、第15条通報がなされました。その直後に、政府が、いち早く適切な内容の避難指示を出していれば、このような惨事を回避できたと思うと、強い憤りが収まりません。後で見た政府のテレビ会見は、現場の事実とはまったく違い、「直ちに影響がない」ことを強調し、事態の深刻さを伝えないものでした。私は、「なんだこの国は。我々を見捨てる気か。」と強い不信感を持たざるを得ませんでした。
また、12日の1号機の爆発前の14時頃、ベントによって、福島第一原発から5~6キロ離れた双葉町上羽鳥地区のモニタリングポストでは、14時40分、20 秒間の空間線量率の測定値として毎時約4613μシーベルトが記録され、平時の毎時平均0.05μシーベルトの実に約9万2000倍もの大量の放射性物質が、ベントによって、大気中に放出されたのです。このとき、避難できていない住民らが周辺にたくさん残っていたにもかかわらず、これを切り捨て、事前の予告も避難誘導もないままベントを行い、放射線に被ばくさせ、住民の心身や生活を破壊したことを、絶対に許すことができません。

4 被ばくによる被害等
放射能は心の問題だと発言した副大臣がいました。確かに、一面では、そのとおり、一人一人の心の問題です。怖いと思う人の心の問題です。しかし、避難を強いられもせず、被ばくの恐怖にもさらされていない者が、単なる心の問題だと決めつけることに、私は、強い怒りを覚えます。被害ではないと決めつけた方には、私たちと同じ放射能を被ってみていただきたい。その上で、否定するなり肯定するなり発言をしていただきたいと思っています。
放射線被ばくは、深刻な問題であり、被害者の心の問題に止まらず、健康破壊をもたらし、遺伝子の破壊によって被害は次の世代にまで続いていく可能性があります。被ばくしたと言えば結婚もできない可能性があり、真実を語れない被害者もいます。
私も非常に疲れています。体毛も元には戻りません。鼻はいつも鼻水か鼻血が出ます。目もかすんでいます。手のしびれも段々ひどくなっています。喉にしびれが出てきました。
町民は、誹謗中傷にもさらされています。事故直後のように、放射能が移るとまでは言われなくなりましたが、今は、「お前らは国民の税金から出た賠償金で遊んで暮らしている。いい気なもんだ。」と非難されます。損害賠償請求をするのは当然のことであり、交通事故の損害賠償で社会的批判が起きないように、本来、誰に遠慮する必要もないことのはずですが、実際には、住民は、小さくなって、身を隠すように暮らしています。
国や東電が繰り返し約束してきたとおりに、原発が「絶対安全」で「止める。閉じ込める。冷やす。」が完全であれば、町も、私たち町民も、壊されなくて済んだのです。財産を失い、避難生活を強いられることはありませんでした。家族同士がいがみ合ったり、分散したり、地域が壊されることはなかったのです。避難途上で健康を崩すこともなく、故郷を離れて死を迎えることもなかったのです。
原発事故前、私たちの人生計画に、避難生活はありませんでした。この事故で、どうして私たちは、我慢しなければならないのですか。頑張らなければいけないのですか。私たちは健康でいたい。放射能のない所でみんなと同じ暮らしがしたいのです。国民として平和な安定した生活をできるようにしてください。

5 被ばくの被害と責任の明確化、完全賠償の実現等
私は、国や東電の説明を信じていたことが、今、無念でなりません。東電や原子力保安院は、町長応接室に来て、いつも理路整然と「町長、大丈夫です。放射能は出しません。」と説明し続けてきました。私は、慎重に、丁寧に彼らと接し、性善説で付き合ってきました。
しかし、私たちが裏切られていたことが、事故後、段々とわかってきました。
私は、原発事故発生後、政府の対応が後手に回り、責任ある者たちは、事実を隠し、アリバイ作りをし、責任を曖昧にし、そして、住民に被害の受忍を迫るのではないかと危惧していました。
残念ながら、その危惧は現実のものとなっています。その原因は、原発を推進していた組織が事故後の対応に関わっているからです。
原発事故から4年以上が経過した今も、事実は隠蔽され、加害者の責任は曖昧なままです。
今や、放射線に汚染された土地に無理に帰還させようとして、20ミリシーベルトで安全な生活が可能だとされています。国は、本来、安全の定義、安全を裏付ける客観的な根拠を示すべきですし、避難住民の自己決定権を尊重すべきですが、根拠も示さないままであり、被害者の声を黙殺し、その意思を尊重しようともしません。国は、核の平和利用そのものが壊れたのに、未だに反省することなく、コソコソと国民の目をごまかしながら、原発政策を推進しています。このように、国は、放射線被ばくの事実も被害の実態も曖昧にしたまま、被害住民と国民に無理難題を押し付けているのが現状です。
私たちは、このような不合理な要求に屈する訳にはいきません。国民の義務を果たしながら、平和に生きてきた住民の人生が、原発事故によって壊されたことを絶対に許すことはできませんし、事故の責任が曖昧なままにされ、間違いが正されないことを許すことができません。
原発事故から始まった様々な被害については、全部事故の責任者が負担をして、落度のないように、救済と賠償・補償をしなければなりません。史上最大の原発事故には史上最大の救済が必要です。いい加減な対策で済ませることはできません。被害者に頑張らせたり、我慢させたりするのは政策的には間違いです。
私は、地球には、これ以上、放射能を受け入れるキャパシティはなくなったと思います。子どもたちにきれいな地球を引き継がなければなりません。大人の役目として、原発事故の真相を究明し、正しい歴史を残し、子どもたちの幸福に繋がなければなりません。
本来、国が、事故原因の究明を正しく行い、責任の所在を明らかにし、深刻な被害実態を正しく把握し、それを明らかにすることによって、国民の理解を得て、被害者の積極的な救済を進めるべきですが、その役割を国に期待できない以上、本訴訟において、司法が積極的な役割を果たし、司法の力によって正義が実現されることを切に願う次第です。
以 上

(意見陳述書のダウンロード)
井戸川克隆前双葉町町長意見陳述書
弁護団意見陳述書

〔お問い合わせ・担当事務局〕
〒330-0063
さいたま市浦和区岸町7丁目12−1 東和ビル4階
埼玉総合法律事務所
事務局長 弁護士 猪股正
電話 048-862-0355
FAX 048-866-0425

image_printこのページを印刷
シェアをお願いいたします。
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次