弁護士会在会30年表彰

私は弁護士になるのと同時に埼玉弁護士会に登録しましたので、今年の4月で埼玉弁護士会在会満30年になりました。埼玉弁護士会では、在会30年に始まり、古稀、米寿等の弁護士を表彰するならわしがあり、私も今年の定時総会で表彰をしていただきました。30年経った、というだけのことなのですが、たいへんありがたい気持ちと、なにか別室に連れて行かれてしまったような気持ちとで少々くすぐったいです。

弁護士になると、みんな「会務」と呼ばれる弁護士会の事業に携わります。私が入会した昭和60年頃の埼玉弁護士会は、折しも弁護士会としての活動が急激に盛んになり始めたころで、弁護士会自体が市民の中に打って出る気風が生まれつつありました。その中心を担っていたのが、私よりも数年先輩の、まだまだ新人の弁護士たちで、他の地域の弁護士との交流も含め、いろいろな分野に進出していきました。
私もその末席にいた1人と思っています。週のうち4日くらいは弁護士会(当時はまだ会館などありませんでしたが)に通って会議に参加していたと思います。中でも中心的に携わっていたのが広報でした。今も続く年2回の会報、毎月の弁護士会だよりなどはその頃に生まれました。来る日も来る日も企画と原稿依頼、校正作業に明け暮れていた覚えがあります。

埼玉の司法記者さんたちの集まりである「県警記者クラブ」とのお付き合いもその頃がスタートです。当事務所の先輩だった故大久保弁護士に命じられ、その引き回しの役目を担当していました。かなり大勢の若手記者さんとお友達になり、何か埼玉県内で大きな事件があったりすると、多くの記者さんが私の所に電話して、弁護人が誰かとか、基本的な法的な考え方を教えて欲しいなどと連絡してきていました。私も、あちこちに動き回っていましたから、そういう情報に接する機会が多く、記者さんたちのご要望にはそれなりにお応えできていたように思います。不遜にも、県知事が行っているような定例記者会見を弁護士会長にもやって欲しい、と掛け合い、ほぼ実現できるというところまでたどり着いたこともありましたが、結局は、事情により実現しませんでした。

最初の7,8年はホントいつでも新しいことに取り組んでいて、「現状打破」みたいなことばかり考えていたように思います。動き回った分、自分の感性も養われたのだろうと思います。自分の頭で考えることも叩き込まれました。
今も変わらないのは日々の忙しさですが、あの当時は体力と気力があふれていたなあ、などと感じ入っています。

弁護士会

弁護士 牧野 丘

 

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