創立40周年のつどい(弁護士 牧野 丘)

弁護士 牧野 丘

2013年5月、埼玉総合法律事務所は、創立40周年を迎えました。同時に、創立者の宮澤洋夫が米寿を迎え、当事務所では約1年前から記念行事の準備を進めてきました。

その柱は、宮澤の米寿に合わせ、ゆかりの皆さまをお招きしての集いの開催と記念誌の編纂でした。

11月15日に開催した集いには、各地、各方面から約300名もの皆さんにご来訪いただき、にぎやかかつ和やかに開催することができました。
お集まりいただいた皆さまには、改めて心より感謝申し上げます。
またたくさんの皆さまからご厚志を頂戴しました。
本当にありがとうございました。

当日は、池本誠司埼玉弁護士会会長、篠原義仁自由法曹団団長からご祝辞をちょうだいしたあと、柴田泰彦埼玉県労働組合連合会会長の乾杯のご発声で宴が始まりました。
埼玉合唱団の皆さんの染みいる歌声で会が盛り上がったところで、宮澤の米寿祝いのコーナーに移りました。
ここでは、宮澤ゆかりの皆さまにスピーチをいただきましたが、本来はご欠席のご連絡をいただいていた医師の肥田舜太郎先生がお見えになり、急遽、お祝いの言葉をいただくサプライズもありました。

最後に、当事務所の事務局たちを中心に製作した、「映像でふりかえる埼玉総合」を梶山の紹介でご披露しました。
ここでご披露した映像、画像は、当事務所に限らず、お集まりの皆さんにとっても懐かしさひとしおだったのか、時折会場は爆笑に包まれるなど、なごやかな時間になりました。

もうひとつの柱が、40周年記念誌の製作でした。
当事務所には、創設以来の数多くの記録が残されています。これを改めて読み直し、諸先輩からお話を伺ういわばプレ企画のようなものも何度か催し、11月15日の集いに合わせて刊行することができました。
私たち所員にとって、この刊行の意義は、記念誌の1章のタイトルにも用いた「埼玉総合のDNA」の再確認でした。
原稿をお寄せいただいた皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。現役メンバーが知らなかった事柄も数多くありました。記念誌全体を通して読んでみると、当事務所に脈々と流れている大きな太いものがほのかに見えてきます。
どこにでも存在する法律事務所、というわけではない、特殊な成り立ちが私たちを支えているのだと思います。

「温故知新」。
私たちは、先輩方が遺してくれた「遺産」に甘えることなく、「DNA」に自信を持って世の中の出来事に食いつき、新しい時代を切り開いいかなければならない、のだろうと思います。
また、そうしてこそ私たち「埼玉総合」の生きる道があるのだ、と再発見した次第です。

image_printこのページを印刷
シェアをお願いいたします。
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次