“憲法”雑記(弁護士 宮澤 洋夫)

弁護士 宮澤 洋夫

1945年、私は陸軍航空士官学校で士官候補生として“特攻隊”の訓練を受け、飛行場を来襲する米軍機を送撃していた。沖縄決選の状況、広島・長崎への原子爆弾投下の状況も伝えられ、8月15日には昭和天皇の“玉音放送”を聞いた。
米・英・中・ソが提示したポツダム宣言の受諾により戦争は終結した。9月2日降伏文書の調印により、天皇を元首とする明治憲法は失効し、米軍管理に移り施政権は連合軍司令官マッカーサーに委ねられた。

日本政府は憲法草案を作成したが、マッカーサーが作成した戦争放棄、象徴天皇等を定めた草案を日本訳した「日本国憲法」が帝国議会に於て制定され、1946年11月3日に公布された。

1948年冷戦が始まるとアメリカの世界戦略は変化し、日本を“反共の防波堤”と位置づけ、朝鮮戦争が起こり、その“特需”により日本経済が立ち直りを見せると、更に経済力を増強し、軍事力を利用しようと企図し、1950年警察予備隊(自衛隊の前身)が設置された。私の陸軍士官学校時代の先輩・同僚多数が参加し要職を担当した。

翌1951年講和条約・日米安保条約が調印されて占領は終結した。

社会主義国の崩壊により自由市場が拡大し、1990年代には米国はその主導権を握り、「警察官」的役割を狙い、高度成長を果たした日本が、米国に次ぐ世界第二位の経済国となった。
91年9・11同時テロを契機に米国はアフガニスタン・イラク戦争を開始し、日本に対し資金提供と「自衛隊の海外派兵」「日米共同作戦」が要請され、新たな市場を求める財界の同意を得てこれに応じた。

自衛隊の海外派兵と活動について、政府は「周辺事態法」「テロ対策特措法」「イラク特措法」等を制定して対処したが、憲法解釈上「海外派兵(・・)」は許されず、「集団的自衛権の行使」は最小必要限度を超えており、「多国籍軍等への参加」は武力行使を伴うもので許されない等とされている(参考・名古屋高裁判決)。
この戦争はアメリカの撤退により終結された。

中国は急速な経済発展に伴い、アメリカの最大貿易国、国債の引受国となって、アジア地域の覇権確立を目指し、尖閣海域の開発も進行している。
我が国は日米安保条約に基づく防衛大綱を改定して海兵隊機能の増強を企図している。

参議院選挙は戦争放棄か憲法改正か、その手続が争点の一つとなり、与党の勝利となった。国のかたちを変えるのか、どう変えるのかが今後の最重要な政治課題となった。

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