事務所設立40周年目を迎えて(弁護士 梶山 俊雄)

弁護士 梶山 俊雄

憲法と平和を守り、国民と労働者の権利を守るという理念の基に、埼玉県内での弁護活動の中心的役割を果たしたいという気概で推移した埼玉総合法律事務所の40年であったかと思います。

洪水の如く次々と押し寄せる悪法のたくらみに対する反対運動、時代の変化に伴う消費者被害などの新たな権利侵害、弱者・貧困・労働問題の一層の深刻化などなど、国民・県民を取り巻く情勢は、事務所員に一息もつかせないかのような試練を与えてきました。

このニュースが皆さんのお手元に届くころには、「国防軍の創設」「核武装も辞さず」「最低賃金法の廃止」そして「原発再稼働」などを叫ぶ勢力が、総選挙の結果どのような陣容になっているかが明らかになっていると思います。希望が持てる結果とはなっていない可能性が高いとは思いますが、どのような結果であれ、埼玉総合の存在意義は変わりなく、さらなる前進に向かって意気高くありたいと思います。

この埼玉総合の事務所から40年の間に事務所を巣立ち、新たな地域での事務所を開設し、その地域に根ざしてすばらしい弁護士活動をしている弁護士が既に16名もおります。現在在籍する弁護士数は15名であり、総勢31名の弁護士が埼玉総合で切磋琢磨した仲間なのです。

残念ながらその間に熊谷に事務所を設立した市川幸永弁護士は平成23年に、為成養之助弁護士は平成7年、大久保和明弁護士は平成13年に事務所在籍のまま亡くなられました。
現職裁判官が治安維持法違反で逮捕された「赤化判事事件」の当事者である為成弁護士は、戦後法曹資格が回復され、唯一の自由法曹団弁護士として県内のあらゆる弾圧事件・人権擁護事件を担当して団支部の礎を築き、我々若手弁護士を叱咤激励してくれました。大久保弁護士は、その日本人離れした風貌と人柄から多くの人から愛され、全国からたくさんの人々が葬儀に駆けつけてくれました。

大変な40年間で事務所経営も決して楽ではない中でも工夫をして事務局も含めて良く遊びもしました。特に桂林・香港、シンガポールや韓国への事務所旅行など、我が事務所らしい、忘れてはならない歴史を尋ねるテーマを持っての企画は思い出深いものです。

いつの間にか今では私が宮澤弁護士に次いでの古株になってしまいましたが、ご覧の通り昭和53年に入所した当時の事務所ニュースの写真は別人のようだったのです。

昨年11月に久しぶりにサイパンに行き、米軍に追い詰められて1000人以上の民間人が崖から身を投げて自殺したバンザイクリフに行きました。「国のため命をささげし人々のことを思えば胸せまりくる」という鎮魂碑に刻まれた詩を詠んで、平和を護ることの大事さを改めて思ったのです。

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