自殺へと追い込まれる国(弁護士 猪股 正)

弁護士 猪股 正

1 東尋坊

福井県の東尋坊は、日本海に面して切り立った断崖であり、過去30年間で650人が亡くなっている自殺多発地帯だ。岩場の最先端まで誰でも行くことができ、下をのぞくと目がくらむような場所だ。
先日、東尋坊で自殺防止の取組を続ける茂幸雄さんを訪ね、東尋坊タワー前に茂さんが開業している茶屋「心に響くおろしもち店」でお話を聞かせてもらった。茂さんは、東尋坊のパトロールを続け、2004年に本格的に活動を始めてから、385人の自殺企図者に声をかけた。

「昨年派遣切り。職を探しても見付からず、借金も膨れ、毎日取立を受け、親に勘当されて家を出て、10万円を持って兵庫、滋賀と野宿しながら職探しをして歩いたものの仕事に就けず、所持金も5500円とわずかになり、途方にくれ、自殺を考えて岩場に立ってしまった。」

「警備会社の交通整理員として働いているが公共工事が取れないため仕事がなく、1か月3~5万円の給料が続き、就活をしても仕事はなく、家賃も滞り、物損事故を起こし、自殺を考えて東尋坊にたどり着き、飛び込む場所が見付かり、人気がなくなってから飛び込もうとしていたところを声をかけられた。」

「大学4年であり、就活に失敗し、これ以上親に迷惑をかけたくないから死にたい。」

いずれも、今年、東尋坊の断崖から自殺しようとした人たちから、茂さんらグループが聴き取ったものだ。

「今日まで声をかけた385人の中に、本当に死にたい人は誰ひとりいなかった。自殺しようとした人たちは、よくよく話すと本当は死にたくないと思っている。再出発したいし、助けて欲しい。けれども、追い詰められて死なざるを得ない。」

だから、「死にたい人は死んだらいいという考えは間違っている。自殺は本人が弱いのではない。社会的な支援の力が弱い。」。茂さんの言葉だ。

2 見えざる落とし穴だらけの国

今、この国では、毎年3万人以上、1日90人もの人が自ら命を絶っている。自殺者数は、1998年に前年から8472人増加して3万2863人となり、その後、14年連続で3万人を超え、国際比較でも、日本の自殺率はワースト6位(2010年)という異常な事態が続いている。
政府は、2006年に自殺対策基本法、2007年に自殺対策大綱を策定して自殺対策に乗り出したが、自殺は減少していかない。

NPO法人ライフリンクの清水康之氏は、「たとえるならば、日本社会に3万個の見えざる落とし穴があって、穴に落ちた人、落とされた人から自殺で亡くなっているということだ。そしてその穴には、…自ら積極的に落ちているわけでもない。じわじわと穴に追い込まれ、気づいたら抜け出せなくなっている。」と述べている(雑誌世界2012年8月号)が、自殺の背景には、見えざる落とし穴だらけになっているという日本社会の現状がある。

3 自殺増加の背景

1990年代以降、日本社会は大きく変化した。
1990年に20%であった非正規労働者の割合は2011年には35.4%、3人に1人以上となる中で世帯所得は次第に減少し、1990年代半ばに10%台だった貯蓄ゼロ世帯(2人以上世帯調査)は2011年には28.6%まで増加し、生活が「苦しい」と答えた世帯は1990年代半ばの45%前後から2011年には過去最多の61.5%に達し、貧困率は1994年の13.7%から2009年には16%にまで上昇し過去最悪の水準となっている。

しかし、その一方で、バブル崩壊によって低迷した景気は次第に回復し、2002年から2008年のリーマンショック前までの間は、戦後最長の好景気が続き過去最高益を更新する企業が続出し、所得格差が拡大した。
このような社会の変化は、企業の競争力を強化するため、企業にとって負担となる市場の障害物や成長を抑制するものを取り除くという新自由主義政策が推進され、非正規雇用への置き換えにより低賃金・不安定就労が広がり、社会保障制度が切り縮められた結果である。

新自由主義は、競争主義、個々人の自己責任を強調し、「努力が報われる社会」で格差は当然、競争に負けて、就職できないのも自己責任、困窮しホームレスになるのも自己責任という空気を社会に広げた。

政府の自殺対策にもかかわらず自殺が減少しない背景には、このように、新自由主義政策により雇用の不安定化と社会保障の機能不全が進み、貧困と格差が拡大したという社会構造的な問題がある。
人々は、労働問題、生活問題などの様々な解決困難な問題を抱え、自己責任が強調される中で、死へと追い詰められていく。

本当に死にたい人は誰もいない。自殺は本人が弱いからではない。
普通に努力しても報われず、落とし穴へと追い詰められていく社会構造が作られている中で、個人の自己責任を強調することは間違っている。
政治的・社会的責任を個人の自己責任へと転嫁するのではなく、社会構造的問題を直視して、これを除くことが必要だ。

埼玉弁護士会は9月29日、日弁連は10月4日に、自殺対策のシンポジウムを開催する。自殺のない社会に向けて、今、一人ひとりが行動するときだと思う。

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