梅屋庄吉(弁護士 佐渡島 啓)

弁護士 佐渡島 啓

 二十世紀においてワーテルローの戦い以来,もっとも偉大な出来事は中国革命である

 孫文の妻となった宋慶齢の言葉である。孫文が導いた辛亥革命から一〇〇年,テレビや新聞で様々特集が組まれ,ジャッキー・チェン監督の映画も公開された

 孫文は,革命に失敗する度に日本に亡命するなど革命の拠点を日本に置いていたが,その際に孫文を自宅等に匿った支援者の中に映画ビジネスで財をなした梅屋庄吉がいる

 香港で写真館を営んでいた頃に孫文と知り合った梅屋は,「東洋の興隆」「人類の平等に就いて全く所見を同じ」(梅屋から孫文への追悼の辞)にした孫文に多額の革命資金を援助し,孫文の同志でさえ反対した宋慶齢との結婚までお膳立てしたが,孫文の空中作戦にも大いに貢献した。民間飛行機家の坂本寿一を孫文に紹介したのである

 坂本は八〇回の飛行中,一八回も墜落したにも関わらず,一度も負傷しなかったという不死身伝説をもつ。その坂本に孫文は,中国人による飛行機隊の創設とパイロットの育成を要請し,袁世凱死亡後には混乱した北洋軍閥に威嚇飛行をさせ,孫文らと軍閥との和平調印に結びつけた

 日本が「脱亜入欧」に流れていた時期に,梅屋はフィリピン独立運動も援助している。そのような梅屋ら孫文の想いに共感した多くの日本人と深く交わり合った孫文が,病死する約半年前に神戸で演説して述べた次の一説は,TPP問題などで揺れる現在の日本にも重要な示唆を与え続けているのかもしれない

 「今後日本が世界の文化に対し,西洋覇道の犬となるか,あるいは東洋覇道の干城となるか,それは日本国民の慎重に考慮すべきことであります」

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